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伊勢山皇大神宮
伊勢山皇大神宮(いせやまこうだいじんぐう)は、横浜市西区にある神社。天照大神 天照皇大神を祭神とする。横浜の総鎮守とされ、「関東のお伊勢さん」として知られている。
1870年、一寒村であった横浜が開港場となり、貿易の街として急速に発展した。神奈川県は、キリスト教を始めとする外来文化に接する横浜の精神的支柱とするために神社信仰の確立が必要と考えた。そのため、元々戸部村海岸伊勢の森の山上にあった当社を明治3年4月に現在地の野毛山に遷座し、同年11月、太政官と神祇官に建白書を提出した。建白書は、当社を伊勢神宮の遥拝所とし、県内の総社たる規模に整備することを願い出るものであり、翌月許可された。その後、開港場である長崎・神戸にも同様の神宮遥拝所が作られることとなった。
天照大御神を御祭神とし、境内神社として三貴神の他の2柱、月讀命(つきよみのみこと)、須佐男命(すさのおのみこと)も揃って祀っており、関東屈指のパワースポットと言われている。健康・学業・安産・勝守・身代わり・交通安全などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市西区宮崎町64
大雄山最乗寺
最乗寺(さいじょうじ)は、神奈川県南足柄市にある曹洞宗の寺院。山号は大雄山(だいゆうざん)。
応永8年(1401年)峨山五哲である通幻寂霊門下の了庵慧明によって開山され、東国における通幻派の拠点となる。通幻門下は各地で公共事業を行い民心をつかむが、最乗寺にもこの地で土木工事を行ったという了庵法嗣の妙覚道了(道了尊)が祀られている。
天狗の高下駄「御真殿の高下駄」で知られる。高下駄が左右一対そろって役割をなすことから夫婦和合の信仰が生まれた。
最大のパワースポットという御真殿をはじめ、本尊が祭られている護国殿、金運の御利益があるという三面殿、身を賭して万人の幸福を願った尼が祭られている女性向けのスポット慧春尼堂(えしゅんにどう)などがある。
風水的には、もともと富士山龍脈が通っていた場所だという。大山阿夫利神社から最乗寺、明神ヶ岳、箱根山そして芦ノ湖へと東北から南西へと一直線に結ぶレイラインがあり、大きな気の通り道となっている。
杉木立の参道を抜け、山門をくぐってすぐのところに「坐禅岩」があり、次のような言い伝えがある。
明徳年間、了庵慧明禅師が曽我の竺土庵(ちくどあん)に閑居の時、一羽の鷲が禅師の袈裟をつかんで飛び去り、山中の大松の梢に掛けた。禅師は袈裟を探して山中に入り、ついにこれを見つけ、大松の近くの坐禅石上に端坐すると、袈裟は梢から離れて禅師の肩にかかった。この奇瑞によりこの地を佛法興隆の処と定めて、大雄山の開山を発願したという。
霊感の高い人が岩の上で手をかざすと、赤くなってくるという。また、この袈裟掛けの松は、天狗の小径の途中にある。
また本堂の先、左手にある金剛水堂に湧く「金剛水」は霊泉として知られており、禅師が指示をした場所からこんこんとわき出てきたと伝えられている。
奥の院周辺からさらに左に登ったあたりにもパワーの源があるという。縁結び・ビジネス・仕事・癒し・浄化・厄除けなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄市大雄町1157
杉本寺
杉本寺(すぎもとでら)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある天台宗の寺院。山号は大蔵山。本尊は十一面観音で、坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所の第1番札所である。鎌倉最古の寺とされている。
この寺は、734年(天平6年)行基が十一面観音を安置して創建したのに始まると伝えられる。1189年(文治5年)堂宇が焼失しているが、このとき観音像は自ら本堂から出て、境内に避難したと伝えられる。その後、1191年(建久2年)には源頼朝がこの寺を再興したという。この寺の背後にはかつて杉本城があり、足利方の武将で鎌倉府執事を務めた斯波家長(-1337年)がこの城に拠ったが、南朝方の北畠顕家に攻められ、この寺で自害している。健康・金運他などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市二階堂903
長谷寺
長谷寺(はせでら)は、神奈川県鎌倉市にある浄土宗系統の単立寺院。山号を海光山、院号を慈照院と称し、長谷観音と通称される。本尊は十一面観音、開山は徳道上人とされる。坂東三十三箇所観音霊場の第四番札所である。
寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺の開基でもある徳道上人を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。すなわち、養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であるとされる。
観音堂等の主要な堂宇は海を見晴らす高台に建てられている。諸堂は関東大震災で倒壊後の再建である。長谷寺は文人とゆかりが深く、境内には高浜虚子の句碑、久米正雄の胸像などがある。高山樗牛は明治34年(1901年)、ここに住んだことがあり、その記念碑もある。
「じゅうぶんな(一)ご(五)縁がある」から「一五」とかけて、いちごの形の「願叶う守」がある。鎌倉江の島七福神の大黒天。
境内にある弁天窟がパワースポットと言われている。弘法大師参籠の地と伝えられ、その名にちなみ窟内壁面には弁財天とその眷属である十六童子が彫られている。良縁・縁結びなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市長谷3丁目11-2
銭洗弁天
宇賀福神社(うがふくじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市にある神社である。洞窟内にある清水で貨幣などを洗うと増えるとされることから、銭洗い弁天(弁財天)の名で知られる。1185年(文治元年)に源頼朝によって創建されたと伝わる。
御神体を祭る洞窟の水には、源頼朝が巳の年、巳の月、巳の夜、夢枕に現れた老人のおかげで、岩から湧き出る霊水を発見した。そして、社を建てて宇賀福神を祀ったという伝説がある。金運アップ・財運にご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市佐助2-25-1
平間寺
平間寺(へいけんじ)は神奈川県川崎市にある寺院である。川崎大師(かわさきだいし)の通称で知られ、真言宗智山派の大本山である。山号は金剛山。院号は金乗院。
高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。尊賢(そんけん)を開山、平間兼乗(ひらま かねのり)を開基とする。
1813年(文化10年)に徳川幕府第11代将軍、家斉が厄除に訪れた事から厄除け大師として広まった。
毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなる。2006年初詣客は272万人となり、全国3位、神奈川県1位を記録した。
川崎大師の西解脱門への道沿いに「しょうづかの婆さん」と呼ばれる像が祀られている。「しょうづか」とは「葬頭河(そうづか)」がなまったもので、三途の川を渡る死者の衣服を剥ぎ取る奪衣婆のこと。
この「しょうづかの婆さん」にお参りすれば、歯の痛みを止めたり、容貌を美しくしてくれるといわれている。厄除け、商売繁昌、交通安全、家内安全、健康長寿など、厄除け、無病息災、交通安全、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市川崎区大師町4-48
寒川神社
寒川神社(さむかわじんじゃ)は神奈川県高座郡寒川町宮山に鎮座する神社。相模国一ノ宮である。
古代、相模川沿いは相模国造がおり、また社が高句麗系渡来人入植の地である高座郡に属することから、なんらかの有力な豪族が造営したものと推定される。相模川の河口から約7キロ遡った左岸の低台地上に鎮座する。古代には相模湾がこの辺りまで入り込んでおり、神社からさらに8キロ上流の海老名市国分付近に相模国府があったと考えられている。
延喜式相模国名神大社として朝廷の尊崇も厚かった。現在も八方除けの守護神として関東一円から参拝者が集まる。
静岡の富士浅間神社、富士山頂、琵琶湖の竹生島、元伊勢、大山、出雲などと共にレイライン上に位置する神社と言われている。「八方除」の守護神が祀られおり、厄除けのご利益があるとされています。あらゆる悪事や災難が取り除かれて、福がもたらされ、開運の恩恵があるとされています。
住所 神奈川県高座郡寒川町宮山3916
江の島
江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島。また、同島全体を指した地名。
四囲を海蝕崖に囲まれた険阻な地形、海蝕洞「岩屋」の存在は、古来宗教的な修行の場として江の島を特色づけてきた。奈良時代には役小角が、平安時代には空海、円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられている。
1182年(寿永元年)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝したといわれる。鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきた。
弁才天は水の神という性格を有し、歌舞音曲の守護神とされたため、歌舞伎役者や音楽家なども数多く参拝した。ことに音曲に関連する職業に多い視覚障害者の参拝も見られ、中でも関東総検校となる杉山和一の存在は特筆すべきである。参拝者のための宿坊も門前に軒を連ね、関東一円に出開帳を行うなどの活動も見られた。
宿坊の中でも岩本院(江嶋寺=こうとうじとも呼ばれた)は有名で、現在の旅館「岩本楼」の前身にあたる。とりわけ江の島岩屋(岩屋洞窟)は、パワースポットとして注目されている。
江の島岩屋は、稚児ケ淵から断崖沿いに数10m進んだ、江の島最奥部にある海蝕洞窟。江の島信仰の発祥の地で、かつて弘法大師や日蓮聖人も修行したという霊場だ。奥行152mの第一岩屋と奥行112mの第二岩屋があり、神秘的な音響や照明で演出されたうす暗い中を歩いて見学できる。江ノ島神社の縁結び・
住所 神奈川県藤沢市
江島神社
江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社である。日本三大弁天の一つに数えられる。
宗像三女神を祀る。島の西方の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命、中央の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命、北方の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。
江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が安置されている。
江島神社は、縁結びの神様としても有名。御神木である「むすびの樹」には、絵馬がたくさんかけられている。一緒に鐘を鳴らすと絆が深まるという「龍恋の鐘」もある。
奥津宮境内の傍らに祀られている洞穴のような龍宮大神(わだつみのみやおおかみ)がパワースポットとして注目されている。
江島神社辺津宮の向かい側にある銭洗白龍王(白龍池の白龍王)も金運スポットとして知られる。白龍王黄金浄水の水源には徳力製の純金の小判が秘められてあり、この御霊水で金銭を洗うと、金運向上、財宝福徳の御利益があるという。
また、3回撫でながら心願成就や運気向上を祈念する「打ち出の小槌」、「小槌守」というお守りがある。三女神をご祭神とする神社で、恋愛運だけでなく金運、勝負運などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県藤沢市江の島2-3-8
成就院
成就院(じょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市にある真言宗大覚寺派の寺院。本尊は不動明王。アジサイの寺で知られる。
空海(弘法大師)が諸国巡礼の折、百日間にわたり虚空蔵求聞持法(虚空蔵菩薩の真言を百万回唱える修行)を行ったところと伝えられる。鎌倉時代には執権北条氏の帰依を得たという。
境内には弘法大師像や聖徳太子1300年忌に建てられた八角の小堂がある。寺には平安時代末から鎌倉時代初期の僧・文覚の荒行像がある(境内に模造が置かれている)。また参道には般若心経の文字数と同じ262株のアジサイが植えられている。
寺の東方、鎌倉十井の一つ「星ノ井」(星月夜ノ井)のそばにある虚空蔵堂(星井寺)は成就院が管理する境外仏堂である。
不動明王が縁結びのパワースポットとして有名。良縁、就職成就、学業成就、身代わり御守、子授かり、安産御守など、様々なお願いの成就を祈願するお寺です。
境内には、安産、子育て、子授けのご利益が授かるという、霊石「子生石(こうみいし)」がある。また「子生石」のそばには、子安地蔵の石仏も安置されている。
住所 神奈川県鎌倉市極楽寺1丁目1-5
東慶寺
東慶寺(とうけいじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は詳しくは東慶総持禅寺と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条貞時、開山(初代住職)は覚山尼(かくさんに)である。
鎌倉幕府第9代執権北条貞時が、父北条時宗死去の翌弘安8年(1285年)、覚山尼を開山として建立した寺である。覚山尼は、北条時宗の夫人であり、貞時の母にあたる人物で、時宗の死後、出家して尼となった。なお、当初は真言宗の寺であったものを覚山尼が臨済宗に改宗したとの別伝もある。
東慶寺は現在は男僧の寺であるが、明治36年(1903年)までは代々尼寺であり、尼五山の第二位の寺であった。
東慶寺は、近世を通じて群馬県の満徳寺と共に「縁切寺(駆け込み寺)」として知られていた。江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、当寺で3年(のち2年)の間修行をすれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があった。幕府公認の縁切寺として、江戸から多くの女性が東慶寺を目指した。
ただし、女性が駆け込んできてもすぐには寺に入れず、まずは夫婦両者の言い分を聞いて、夫が離縁状(いわゆる「三下り半」)を書くことに同意すれば、すぐに離婚が成立したという。また、実際には離婚に至らず、調停の結果、復縁するケースも多かったという。この制度は、女性からの離婚請求権が認められるようになる明治6年(1872年)まで続いた。縁切りのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内1367
日向薬師
日向薬師(ひなたやくし)は、神奈川県伊勢原市日向にある仏教寺院である。本尊は薬師三尊。現在の宗派は高野山真言宗。
かつては日向山霊山寺(ひなたさんりょうせんじ)と称し、子院13坊を擁する大寺院であったが、廃仏毀釈で多くの堂舎が失われ、現在は霊山寺の別当坊であった宝城坊(ほうじょうぼう)が寺籍を継いでいる。
寺号は廃仏毀釈以前は「霊山寺」、以後は「宝城坊」と称するが、中世以来薬師如来の霊場として信仰を集めていることから、「日向薬師」(ひなたやくし)の名で親しまれている。病気平癒のご利益があるとされています。
住所 神奈川県伊勢原市日向1644
本覚寺
本覚寺(ほんがくじ)は、神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は妙厳山。鎌倉駅の近くにある。
本尊は釈迦三尊像。身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」とも呼ばれる。
現在の本覚寺の山門がある場所の前には、夷堂と呼ばれる堂があった。この夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府の開幕の際に、幕府の鬼門にあたる方向の鎮守として建てたとされ、天台宗系のものであった。文永11年(1274年)に佐渡配流から帰った日蓮が一時、この夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていた。その後の永享8年(1436年)に一乗院日出が日蓮にゆかりの夷堂を天台宗から日蓮宗に改め本覚寺を創建したという。 後に身延山を再興した第2世の行学院日朝は、身延山への参詣が困難な老人や女性のために、身延山より日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めた。本覚寺が「東身延」と呼ばれる理由である。元々は中本山であったが昭和49年に本山(由緒寺院)に昇格している。
鎌倉江の島七福神の夷尊神。恵比寿神は、商売繁盛、招福、良縁の神様として親しまれていますが、「にぎり福」はそんな恵比寿神の優しい心を表したものといわれています。
住所 神奈川県鎌倉市小町1丁目12-12
大船観音寺
大船観音寺(おおふなかんのんじ)は、神奈川県鎌倉市岡本一丁目にある曹洞宗の寺。全長約25mの巨大白衣観音像(大船観音)で知られる。JR大船駅西口より徒歩10分程度。
シンボルともなっている大船観音の他にも、原子爆弾による犠牲者を弔う「原爆被災祈念碑」・「戦没慰霊碑」など第二次世界大戦による犠牲者を弔う碑や、地蔵尊などが立ち並ぶ。
大船観音は1929年(昭和4年)、地元有志の発起により、護国観音として築造が開始され、1934年(昭和9年)には輪郭が出来上がっていたが、戦局の悪化により、築造は中断。その後、20年以上放置される。第二次世界大戦後、財団法人大船観音協会が設立され、1960年(昭和35年)4月に完成した。なお、大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙(たかしな ろうせん)や、東京急行電鉄の初代社長五島慶太の名前を始め、各界の著名人の名が見える。財団法人大船観音協会は、1981年(昭和56年)11月30日に解散し、宗教法人大船観音寺と改称され、現在に至る。
観音像へは、日本人ばかりではなく、東南アジア(特に華僑・上座部仏教信者)などからの参拝客も多く、奉納された灯籠には多国籍な名前が並ぶ。こうしたアジアからの参拝客の増加を受け、1999年(平成11年)より台湾やスリランカなどから僧を招き、法要を行い、各国の民族舞踊を奉納する「ゆめ観音in大船」という祭りが開催されるようになった。
白衣観音像で息災除病、子供の無病成長、子宝、安産のご利益があるとされています。女子プロレスラーのジャガー横田が、四十四歳にして大船観音にお参りして子宝を授かったことで注目されている。
住所 神奈川県鎌倉市岡本1丁目5-3
関帝廟
関帝廟(かんていびょう)は、関帝(関羽・関聖帝君・関帝聖君)を祀る廟。孔子を祀る孔子廟(文廟)に対比させて、武廟(ぶびょう)とも呼ぶ場合もある。
関帝廟の本殿は中央に関羽を祭り、右側に小説『三国志演義』で養子の関平(史実では実子)、左側に同じく『演義』に登場する配下の武将周倉の二神をそれぞれ祭っている。
横浜中華街全体が、風水にのっとった街づくりがされた強力なパワースポットで、東西南北に沿うように45度ずつ傾むく道路が伸び、東南西北の各方位を守る「四神獣」の通り東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武それぞれに神獣の門がある。その中心に建てられているのが、三国志にも出てくる関帝を奉った、関帝廟である。
関羽帝は武将として経済にも精通していたため、商売にたずさわる人々に財神、商売繁昌の神として信仰されており、交通安全・商売繁盛・入試合格・学問などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市中区山下町140
箱根神社
箱根神社(はこねじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡箱根町にある神社である。
箱根大神(ニニギ 瓊瓊杵尊・コノハナノサクヤビメ 木花咲耶姫命・ホオリ 彦火火出見尊の総称)を祀り、かつては箱根権現、三所大権現と称した。古代よりの山岳信仰の霊地であったと見られる。
『筥根山縁起』によれば、孝昭天皇の時代、聖占仙人が箱根山 駒ヶ岳を神体山として神仙宮を開いたのに始まり、天平宝字元年(757年)、万巻上人が現在地に里宮を創建して僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったと伝える。駒ヶ岳山頂には箱根元宮が昭和39年(1964年)に堤康次郎の寄進によって再建された。以来、奥宮として登拝者を集めている。古来より関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社であり、開運、交通安全、心願成就、安産祈願などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町
箱根神社元宮
箱根神社元宮は、神奈川県足柄下郡の神社。元箱根の箱根神社の元宮で、ご神体山である駒ヶ岳(1357m)の頂上に鎮座されている。
山頂は高地のため木々は無く広い草原の中に、元宮だけが鎮座している。しかし、山自体がご神体なので、造りとしては拝殿のみとなっている。
山頂からの景色は素晴らしく、天気が良ければ南には芦ノ湖全部が見渡せ、東は相模方面、西には富士山が間近に見られる。
注連縄の張られた馬降石(ばこうせき)があり、白馬に乗って神様が降臨された岩と伝えられている。石の上の穴は降馬の折の蹄跡で、穴にたまる水は旱天にも枯れたことがないと傳えられる不思議な岩である。
また参道の右側には馬乗石(ばじょうせき)があり、駒ヶ岳の七名石の一つとされている。心願成就や恋愛成就などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町駒ケ岳山頂
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮(つるがおか はちまんぐう)は神奈川県鎌倉市にある神社。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉八幡宮とも呼ばれる。境内は国の史跡に指定されている。鎌倉江の島七福神の弁財天。
境内の源平池は、北条政子が掘らせたと伝わる。源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産と死を表すという。源氏池の島には旗上弁天社がある。
源平池を横切るように作られている石造の橋「太鼓橋」は、創建当時は木造で、朱塗りだったため「赤橋」と呼ばれた。
2010年3月10日に大銀杏が倒れたことは大きなニュースとなった。この大銀杏は樹齢800年とも1000年余ともいわれ、建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したという伝説があり、「隠れ銀杏」という別名がある。
現在、倒れた御神木の根元にたくさん新芽が芽吹いており、木の枝を入れたお守りのご利益が話題になっている。再生のパワースポットとして注目を新たにしている。
また、源氏池に浮かぶ中の島にある社・旗上弁財天社の裏に「政子石」と呼ばれる石がある。源頼朝公が政子の安産を祈ったとされる石で、別名「姫石」とも呼ばれる霊石。古来より縁結びの霊験があり、夫婦円満の祈願石と信仰されている。
勝負や戦いの神が祀られていることから、必勝を期して学業成就や合格祈願のお守りにはご利益があることでも有名。 このため、勝守や学業成就守りは人気の高い種類のお守りとして知られています。 なお、鶴岡八幡宮内の旗上げ弁財天は勝負運アップのパワースポット。
住所 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目18-1
葛原岡神社
葛原岡神社は、神奈川県鎌倉市の神社。後醍醐天皇の側近・日野俊基を祀る。
明治天皇が日野俊基に従三位を贈り、地元有志と全国の崇敬者の協力により明治20年(1887)に創建された。神社の南側に日野俊基の墓がある。
日野俊基は鎌倉幕府の倒幕の謀議に加わり、正中の変(1324)で捕らえられ許されたが、元弘の変(1331)で再度捕らえられ、翌年ここで処刑された。辞世の句「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらむ」を残している。
葛原岡神社の鳥居のそばに、「魔去る石」という石があり、「魔が去る」が転じて「勝(まさる)」と読み、幸せを勝ち取る石だという。願いを込め、盃をこの石にあてて割り、幸せを勝ち取る。
鳥居をくぐってすぐ左手にある縁結び石もパワースポットと言われている。縁結び石の隣には恋みくじもある。縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市梶原5丁目9-1
円覚寺
円覚寺(えんがくじ)は神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派の大本山である。山号を瑞鹿山(ずいろくさん)と称し、寺号は詳しくは円覚興聖禅寺(えんがくこうしょうぜんじ)という。
本尊は釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。なお、寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式である。
鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため渡来僧の無学祖元を招いて創建した。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護された。鎌倉五山の第二位。延命、利生などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内419
鎌倉大仏
高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の寺院。「鎌倉大仏」として知られる阿弥陀如来を本尊とする。山号は大異山。
国宝の銅造阿弥陀如来坐像、いわゆる鎌倉大仏(長谷大仏の異名もあり)を本尊とする寺である。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院であるにも関わらず、その草創については、開山、開基を含め不明な点が多い。のみならず、大仏自体の造像の経緯、誰が何のために造ったのかという事情についてさえ、資料が乏しく、今ひとつ明らかでない。寺の草創については、鎌倉市材木座の光明寺奥の院を移建したものが当院だという説もあるが、定かではない。
個人の幸福より日本の安泰に感謝するスポットだが、大仏胎内には陽のエネルギーが巡り開運パワースポットでもあるという。
また、券売所左手から境内の森の中を歩く小道「大仏道」(だいぶつどう)は水と緑溢れる癒しのパワースポットとなっている。極楽往生、長寿などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市長谷4-2-28
小田原城
小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にあった、戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、江戸時代には小田原藩の藩庁があった。城跡は国の史跡に指定されている。
この小田原城趾にあるイヌマキの木が、パワースポットとして知られている。目通り3.1m、樹高15m。小田原市指定天然記念物。商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県小田原市
大涌谷
大涌谷(おおわくだに)は、神奈川県箱根町にある箱根火山の噴煙地。整備され観光できるようになっている。
かつて「地獄谷」と呼ばれていたが、明治天皇・皇后の行幸啓に際し、1876年(明治9年)9月5日に改称された。
地熱を利用して作られたゆで卵が販売されている。当地で湧いている温泉に含まれる硫黄と鉄分が結びつき黒い硫化鉄となり卵の殻に付着して、黒く変色していることから黒玉子と呼ばれる。黒玉子は1個食べると7年寿命が延びるというふれこみで、軽食・土産として人気がある。開運・縁結び・健康にご利益があるとされています。
住所 神奈川県箱根町
しとどの窟
しとどの窟は、神奈川県足柄下郡湯河原町にある岩屋。治承4(1180)年、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、土肥実平に導かれこの岩屋に隠れたといわれている。
土肥椙山観音像群と呼ばれる多くの観音や石塔が天然の岩屈内に並んでいる。健康・安全・
住所 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上
身代り不動尊大明王院
身代り不動尊大明王院は、神奈川県高津区に位置する。元禄年間に武蔵の国荏原郡に悪疫が流行した際、諸国を行脚していた祐天上人が不動尊を尊信するよう教え、土地の人々がこれを信仰したところ悪疫が去り、本尊の霊験あらたかなるに感謝し、堂宇を建て神社に安置したもの。その後、明治維新の際の排仏棄釈に会い一時民家に移されたが、開山喜衆聖人が明治37年に開眼法要をなして現在の場所に移した。今では、厄除・交通安全祈願の身代り不動として、一年中参拝客で賑わう。病気祈願や厄除け、交通安全にご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市高津区下作延4丁目26-1
走水神社(はしりみずじんじゃ)は、神奈川県横須賀市にある神社である。三浦半島の東端近く、東京湾にほど近い場所に位置する。
この神社の創建年代等については火災などにより不詳であるが、東日本の征討を行った日本武尊の父である景行天皇が、この地に日本武尊を祀ったのに始まると伝えられる。古事記に記された日本神話によれば、110年に日本武尊が走水から上総へ向かう途中、海上で難に遭い、弟橘媛命が身を投じてその難を救ったと伝えられる。仕事運開運、女子力アップのパワースポットです。縁結びにご利益があるとされています。
住所 神奈川県横須賀市走水2-12-5
石老山
石老山(せきろうさん)は丹沢山地の北部、神奈川県相模原市にある標高694.3mの山。 北麓には相模湖がある。関東百名山の一つ。山道にある多数の奇岩が有名。
また、「奇岩の道」にある滝不動がある。自然石を利用した石畳や石段を登った場所に岩が重なり合った岩屋があり、巨石と巨石の間にある奥まった場所にお不動さんが祀られている。
岩の前に大石があり、その上に蛟竜(こうりゅう-みずち)の石像がある。この像に岩の上から水が降りかかることからこの名がある。手軽に登れる事から、日帰りハイカーに人気がある。
住所 神奈川県相模原市緑区牧野
不動ノ峰
不動ノ峰(ふどうのみね)は丹沢山地の丹沢主脈にある標高1,614mの山である。神奈川県相模原市と足柄上郡山北町の境界線上に位置し、丹沢大山国定公園に属す。丹沢山と蛭ヶ岳の間にあり、丹沢山地で蛭ヶ岳に次ぎ2番目に高い山である。
奈良時代に丹沢を開山した山岳仏教徒が修行の道場とした事から、不動像を祭り仏教用語で「不動ノ峰」と名付けられたと言われている。なお、この不動像は現在も山頂直下に残っている。縁結び・恋愛成就にご利益があるとされています。
住所 神奈川県相模原市
川勾神社
川勾神社(かわわじんじゃ)は、神奈川県中郡二宮町山西に鎮座する神社。相模国二宮であり、「二宮町」の名は当社が二宮であることに拠っている。
国府祭(こうのまち)で知られ、祭の中心的な儀式「座問答」は相武(さがむ)と磯長(しなが、「師長」とも表記する)をあわせて相模国となったときに、寒川神社と当社のいずれを相模国一宮とするかで争った故事によるものとされる。五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、厄除きなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県中郡二宮町山西2122
九頭龍神社
箱根は町全体がパワースポットとされる縁起の良い場所とされる。箱根神社の末社である「九頭龍神社」は、古い伝説によると、芦ノ湖に住む9つの頭を持つ毒龍が嵐を呼び、村人を苦しめていたのを奈良時代の高僧「萬巻上人」が倒し、その後改心した毒龍が龍神となったのを祀ったのが始まりだそうです。九頭龍は最強の力を持つされ、日本各地で信仰の対象となっています。ご利益は開運、金運アップ、商売繁盛、縁結びなど。
九頭龍神社新宮には、九つの龍の口から出ている「龍神水」と呼ばれるご神水があります。持ち帰って、神棚にお供えするのも良いそうです。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
佐助稲荷神社
宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)は穀物を司る神様、大己貴命(おおなむちのみこと)は国造りの神様、佐田彦命(さるたひこのみこと)は先導の神様(導きの神様)、大宮女命(おおみやひめのみこと)きれいな言葉で他人との間を仲良く保つ神様、事代主命(ことしろぬしのみこと)は大国主命の子神。佐助稲荷神社は開運や出世のパワースポットと知られていますが、ご利益は開運、出世運、商売繁盛、病気平癒、大漁万船、学業成就、縁結びと複数のご利益があります。
住所 神奈川県鎌倉市佐助2丁目22−12
白龍神社
白龍神社は神奈川県足柄下郡箱根町の神社。御祭神・白龍大神を祀る。九頭龍神社本宮に程近い湖岸の森に鎮座する。
「白龍」とは、箱根権現で祀られていた「白和龍王(しろわりゅうおう」の名を略したもので、例祭は、毎年6月13日、九頭龍神社本宮の例祭に引き続いて行われる。
社伝によると、江戸時代末までは白和龍王は左鵲王(さじゃくおう)と右鵲王(うじゃくおう)と共に祀られいた龍神だったという。鳥居も玉砂利も白となっている。良縁、恋愛運UPにご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根110
安養院
安養院(あんよういん)は、神奈川県鎌倉市大町にある浄土宗の寺院。山号は祇園山。寺号は長楽寺。本尊は阿弥陀如来。千手観音(田代観音)を安置し、坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所第3番札所である。
この寺の歴史には、長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係している。長楽寺は、1225年(嘉禄元年)北条政子が夫である源頼朝の菩提を弔うため長谷笹目ヶ谷(はせささめがやつ、鎌倉文学館付近)に願行を開山として創建した寺と伝えられる。山号を祇園山と号し、律宗の寺院であった。長楽寺は1333年(元弘元年)兵火により焼失し、大町にあった善導寺に統合され安養院長楽寺と号した。なお、安養院は政子の法号から取られたものである。一方、田代寺は1192年(建久3年)田代信綱が尊乗を開山として比企ヶ谷(ひきがやつ)に建立したのに始まると伝えられ、江戸時代になって安養院に統合された。千手観音は田代寺にあったもので、田代観音とも称されている。
決めた日数のうちにお参りすると、ご利益があるという日限地蔵(子安地蔵)がある。北条政子と源頼朝が結ばれたことから、恋愛成就のご利益があるという。諸願成就のご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市大町3丁目1-22
報徳二宮神社
報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)は、神奈川県小田原市にある二宮尊徳を祀る神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。学問、立身出世のご利益があるとされています。
住所 神奈川県小田原市城内8-10
叶神社
叶神社(東叶神社)は、神奈川県横須賀市東浦賀の神社。鬱蒼と木々の生い茂る明神山を前に鎮座する。
養和元年(1181年)京都神護寺の僧文覚が源家の再興を発願し、石清水八幡宮を当地に勧請されたことに始まるとされる。願いの「かなう」パワースポットとして人気。
恵仁志坂(えにしざか)・産霊坂(むすびざか)と2つの坂が縁結びにご利益があると言われる。
西叶神社の「勾玉」を、東叶神社の「袋」におさめる「縁結びお守り」が人気。「願いが叶う神社」として有名で、諸願成就のご利益が有名です。 それ以外にも縁結び、安産祈願、海上安全、交通安全、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横須賀市東浦賀2丁目21-25
森戸神社
森戸神社(森戸大明神)は森戸海岸の南側の岬に立つ源頼朝創建と伝わる神社。葉山の総鎮守として親しまれている。
境内にはビャクシンの古木や、葉山を保養地として紹介したドイツ人医師ベルツ博士の記念碑などがある。夕日の美しさでも人気が高い。
恋愛、結婚、不倫まで見守る恋愛成就のパワースポットと言われてる。「ペットのお守り」や「森戸の清め塩」もある。御祭神に由来し、開運厄除・安産・子宝・家内安全・商売繁盛・交通安全・恋愛成就・技芸上達そして水難除のご利益があるとされています。
住所 神奈川県葉山町堀内1025
城願寺
城願寺は、神奈川県足柄下郡湯河原町の曹洞宗寺院。城願寺のビャクシンで知られる。
鎌倉時代に当時の開基である源頼朝の重臣であった土肥実平が植えたものとされる。樹齢800年以上とも言われ、現在でも樹勢を保っている。「親友ができる」「友情が続く」といわれています。
住所 神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252
大山阿夫利神社
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、神奈川県伊勢原市の大山、別名・雨降山(あふりやま)にある神社である。「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読む。
神仏習合時代には、本社の祭神は、山頂で霊石が祀られていたことから「石尊大権現」と称された。摂社の祭神は、俗に大天狗・小天狗と呼ばれ、全国八天狗に数えられた相模大山伯耆坊である。
またの名を「出世山」「関東総鎮護の神」と呼び、かつて源頼朝が必勝祈願で刀を納めたエピソードから、立身出世、厄除け、健康長寿などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県伊勢原市大山355
七沢荘
七沢荘は、神奈川県厚木市七沢にあるゼロ磁場の温泉旅館。源泉は仙台館長がダウンジングで掘り当てたという。七沢森林公園にほど近い。
館内には群馬県に流れる神流川上流で採掘された「巨大三波石」や、七福神神社、磁力が反転する「宇宙パワーボックス」がある。「女子力アップ」「開運」「商売繁盛」などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県厚木市七沢1830
建長寺
建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。
建長寺の境内最奥部の長い階段を登り切ると、建長寺の鎮守とも称される半僧坊(はんそうぼう)がある。
至徳元年(1384)奥山方広寺に入山した無文禅師が山中で老翁に出会い、弟子にとった。老翁はよく仕え、禅師が没した後に姿を消した。その後奇怪なことが続いたため、方広寺では京都の仏師に老翁の像を作らせることにした。すると仏師の夢に、身長一丈あまり(約3m)の半俗半僧で面相はあくまで赤く、鼻は高く髪を乱し、白衣に身を包み、金色の袈裟を肩に杖をたずさえている老翁の姿が現れた。夢から覚めた仏師は、この老翁こそ無文禅師が出会った老翁に違いないとし、夢の中に現れた老翁の姿を像に刻んだ。像は方広寺のご神体として祀られた。
建長寺の半僧坊は明治23(1890)年に祀られたもので、山肌に12体の天狗の像が並ぶ。この天狗がパワースポットと言われ、天狗と共に鎌倉の市街を見下ろすと良いという。厄災消除のご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内8
横濱媽祖廟
横濱媽祖廟(よこはままそびょう)は、海の安全を守る媽祖を祀る神として、横浜中華街内に2006年春に建てられた。日本では15世紀に沖縄・琉球王国で祀られたのが最初といわれ、日本全国に20ケ所余の媽祖を祀る神社仏閣が現存している。
昔、支那領事館や外国人居留地だった当地は、その後マンション建設へとなりそうだった土地を、地元中華街が買い取り媽祖廟を建てた。廟内は、きらびやかで洗練された中国寺院で、関帝廟にも劣らない気が流れている。
線香を焚いて神様に願い事を伝える。「天の神様の香炉 玉皇上帝」から順番に、「媽祖の香炉 天上聖母」、「臨水夫人 註生娘娘の香炉」、「文昌帝君 月下老人の香炉」、「土地の神様の香炉 福徳正神」の順に香炉へ線香を供えて参拝する。航海の安全を守る神様だけでなく、子宝の神様、安産の神様、縁結びの神様、学問の神様といったご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市中区山下町136
佐助稲荷神社
佐助稲荷神社は、神奈川県鎌倉市の神社。源頼朝に挙兵を勧めたという稲荷が祀られる。鶴岡八幡宮の境外末社だったが、明治42年(1909年)に独立した。
100本以上ある赤い鳥居とのぼり旗が参道に独特のアーチを造る。近年は出世のパワースポットとしても人気。開運や出世のパワースポットと知られていますが、ご利益は開運、出世運、商売繁盛、病気平癒、大漁万船、学業成就、縁結びと多くあるパワースポットです。
住所 神奈川県鎌倉市佐助2丁目23-16
師岡熊野神社
師岡熊野神社(もろおかくまのじんじゃ)は、横浜市港北区にある神社である。横浜北部の総鎮守とされる。
社紋は三足烏であり、熊野三山において信仰された八咫烏に由来するものと考えられる。三つ足烏は、日本サッカー協会のシンボルマークでもあるため、近年当社はサッカー神社としても親しまれ、サッカー日本代表の公式エンブレムのついた日本サッカー協会公認のお守りや絵馬が販売されている。
仕事運や勝負運のパワースポットである。御祭神の詳細は伊邪那美尊・事解之男命・速玉之男命の3体で、勝負運・仕事運・健康運・縁結び・縁切りなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市港北区師岡町1137
七沢温泉
七沢温泉(ななさわおんせん)は、神奈川県厚木市(旧国相模国)にある温泉。7軒の旅館が存在する。
飯山温泉同様、厚木市の奥座敷として、京浜地区の会社の社員旅行や、丹沢帰りの行楽客の利用も多い。
ゼロ磁場地帯とも言われ、波動の湯などのパワースポットがある。恋愛運アップにご利益があるとされています。
住所 神奈川県厚木市
玉簾の瀧
玉簾の瀧(たまだれのたき)と飛烟の瀧(ひえんのたき)は、神奈川県の箱根湯本にある滝。旅館天成園の敷地内にあり、自由に見学できる。手前が「飛烟の瀧」で。奥が「玉簾の瀧」となる。
1923年(大正12)の関東大震災の折に土砂で埋もれ、昭和になって掘り出されたが、飛烟の瀧は渇水してしまった。現在見られるのは、人工的に復元されたもの。
玉簾の瀧から流れ出す水は箱根外輪山の伏流水で、不老長寿の水ともいわれる。玉簾の滝上には、縁結びの神で知られる九頭竜神が祀られる箱根神社の分社「玉簾神社」がある。
マイナスイオン溢れる浄化の隠れパワースポットと言われる。 縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町湯本
御霊神社
御霊神社(ごりょうじんじゃ)は神奈川県鎌倉市長谷坂ノ下にある神社。通称「権五郎神社」(ごんごろうじんじゃ)。
創建年代は詳らかではないが、平安時代後期であると推定される。もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった。後に、鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれた。
鎌倉景政は、平安時代後期の関東平氏の一族であり、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の5氏とともに鎌倉武士団を率い、現在の湘南地方一帯の地方開発に従事した。景政はまた、その武勇をもって知られ、16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年-1087年)に従軍して活躍した際のエピソードがよく知られている。
『奥州後三年記』の伝えるところによれば、景政は左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還した。左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、景政はその非礼を叱責したと言う。かかる伝承から、志の成就(学業成就、必勝招来)の神徳があるとされる。また、林羅山の考定によれば眼病平癒にも効験があるとされる。
社務所の前にそびえるタブノキは、樹高20m、推定樹齢350年に達し、冠状に広がった樹枝が見事である。鎌倉市指定天然記念物、および神奈川県選定「かながわの名木100選」。鎌倉江の島七福神の福禄寿。
数多くの境内社があり、学業成就や厄除け、交通安全などの様々なご利益を授かることができるパワースポットとされる。
また社殿前を江ノ電が通るため、神社を背景に江ノ電の写真が撮影できるスポットとしても人気である。 眼病平癒や学業成就、必勝祈願。 七福神の福禄寿を祀っているため幸福、財産、長寿のご利益があるとされています。夫婦銀杏の夫婦円満、子宝安産、家内安全にもご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9
明月院
明月院(めいげついん)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号を福源山と称する。
本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)である。アジサイの名所として知られ、「あじさい寺」の通称がある。
金運アップのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内189
報国寺
報国寺(ほうこくじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号は功臣山。本尊は釈迦三尊。「竹の寺」とも称される。鎌倉観音霊場第十番、鎌倉十三仏第八番(観音菩薩)。
この寺は、1334年(建武元年)天岸慧広の開山により創建されたと伝えられ、開基については足利尊氏の祖父足利家時とも上杉重兼ともいわれている。臨済宗における寺格は諸山に列せられていた。1438年(永享10年)におきた永享の乱で敗れた鎌倉公方足利持氏の子義久がこの寺で自刃している。縁結び、安産、厄除けのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市浄明寺2丁目7-4
瑞泉寺
瑞泉寺(ずいせんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺院。山号は錦屏山(きんぺいさん)。本尊は釈迦如来で、開基は二階堂道蘊である。鎌倉随一の花の寺、紅葉の名所としても知られている。
紅葉ヶ谷(もみじがやつ)とよばれる、鎌倉の最奥の地にある。開山は、天龍寺の名庭などを残した夢窓国師(夢窓疎石)。瑞泉寺の本堂裏手の石庭も夢窓国師の作といわれる。健康に病気の回復などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市二階堂710
夕日の滝
夕日の滝は、神奈川県南足柄市にある酒匂川の上流内川にかかる滝。金太郎が産湯をつかった滝と伝えられる。毎年1月半ばに夕日が滝口に沈むことに由来するとも言われる。落差23m、幅5m。
下流には、金太郎の生家跡や子供の頃に遊んだと伝えられる「かぶと石」「たいこ石」がある。
夕日の滝は滝行でも知られ、多くの有名人が滝行を経験している。一般人でも体験できる。夫婦円満のご利益があるとされています。
住所 神奈川県南足柄市矢倉沢
芦ノ湖
芦ノ湖(あしのこ)は神奈川県足柄下郡箱根町にある、箱根山の湖である。
神山が約3000年前に水蒸気爆発と火砕流を起こした際、山の一部が大崩壊を起こす山体崩壊が発生し、その結果誕生した堰止湖である。よくカルデラ湖と解説されるが、それは間違いである。金運アップ、開運、商売繁盛、縁結びなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町
岡本太郎美術館
川崎市岡本太郎美術館(かわさきしおかもとたろうびじゅつかん)は、神奈川県川崎市多摩区にある市立の美術館。芸術家、岡本太郎より川崎市に寄贈された主要作品1779点を保有・展示している。生田緑地の敷地内にある。
本施設の建設に際しては自然保護活動家たちによる執拗な反対運動が展開され、岡本の生前の開館には至らなかった。岡本の死は1996年であるが、翌1997年には動物を原告とした「生田緑地里山・自然の権利訴訟」が提訴された。岡本の死に際して当時の川崎市長は、生前の開館にこぎつけられなかった無念のあまり悔し涙を流したとされる。
住所 神奈川県川崎市多摩区枡形7丁目1-5
叶神社
叶神社は、向かい合うように西と東にわかれ、浦賀(神奈川県横須賀市)の神社。
源氏の再興を願って京都石清水八幡宮の心霊を迎えたことに始まるといわれる。その後、源頼朝によって、その願いが叶ったことから叶大明神の名で呼ばれるようになり願い事が叶うという説が生まれた。
西叶神社の「勾玉」を、東叶神社の「袋」におさめる「縁結びお守り」が人気。「願いが叶う神社」として知られているだけあって、諸願成就のご利益があるとされています。
住所 神奈川県横須賀市西浦賀1丁目1-13
瑜伽洞
瑜伽洞(ゆがどう)は神奈川県横浜市栄区の真言宗大覚寺派田谷山定泉寺境内にある人工洞窟である。瑜伽洞が正式名称で、一般には「田谷の洞窟」(たやのどうくつ)と呼ばれている。瑜伽とは密教用語である。
定泉寺は天文元年(1532年)に鶴岡二十五坊相承院の僧快元法印の門弟隆継阿闍梨により建立されたと伝わっているが、瑜伽洞の歴史はそれよりも古く、その原型は古墳時代の横穴墓ないし横穴式住居の跡であるとも言われている。
伝説では和田義盛の三男朝比奈義秀が弁才天を祀っていて、建暦3年(1213年)に起きた和田合戦で義秀がこの洞窟(「厄除大師」とよばれるスポット)を伝って落ち延びたという。また鎌倉幕府滅亡の際にも、落武者が逃れたという。裏山にそれに関連するともいう十三塚がある。近隣の御霊神社にまで洞窟が伸びていたともいわれる。商売繁盛、合格祈願、恋愛成就にご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市栄区田谷町
鹿島神社
鹿島神社は、神奈川県相模原市の神社。樹齢250年の夫婦椿間を通り抜けると、幸運に恵まれると言われる。旅行安全、武芸上達、事業成功、出世開運、水難守護、航海安全、
住所 神奈川県相模原市南区上鶴間本町3丁目7-11
生田緑地
生田緑地(いくたりょくち)は、神奈川県川崎市多摩区枡形、東生田、長尾、および宮前区初山にある都市公園である。多摩丘陵が多摩川に接する東端の一角に位置している。
緑地内には、枡形山(ますかたやま)、長者穴横穴墓群のある飯室山、戸隠不動跡などがある。また、かつての雑木林が保存・維持管理されており、多くの野鳥が観察できる。縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市多摩区
元町厳島神社
元町厳島神社は、神奈川県横浜市中区元町にある神社。
もともとは横浜村洲干島にあったもので、元町に移り、元町厳島神社と呼ばれるようになったのは、明治2年(1869)からである。
商売繁昌・航海安全のご利益があると言われるが、山手に女子校が多数在ることもあり合格・学業成就を願う参拝客も多い。
例祭は、横浜の開港記念日の6月2日。また毎月2日には神社で月次祭(つきなみさい)が行われる。商売繁昌、航海安全、合格祈願、学業成就、縁結びなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市中区元町5丁目208番地
諸磯神明社
諸磯神明社小桜神社は、神奈川県三浦市の神社。隆起海岸の強い水龍のはいってる土地に建てられている。
この神社には、北条早雲に城守が滅ぼされ、その悲しみにうちひしがれながら亡くなった小桜姫が祀られている。その約200年後、小桜神社の小桜姫は台風で水没する寸前だった村を救ったともいわれ、小さな社ながらも今でも供え物が絶えない。縁結び・恋愛成就 · 家内安全 · 五穀豊穣などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県三浦市三崎町諸磯1872
出雲大社相模分祠
出雲大社相模分祠(いずもおおやしろ/たいしゃ さがみぶんし)は神奈川県秦野市平沢にある神社。名の通り出雲大社の分社である。通称「関東のいづもさん」。縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県秦野市平沢1221
大王松
箱根ガラスの森(はこねガラスのもり)は、神奈川県足柄下郡箱根町仙石原にある美術館。アンティークショップやカフェレストランといった施設も付帯する。館内はヴェネツィアをイメージして作られている。ヴェネツィアン・グラスで出来たガラス細工などを展示、販売している。
大王松(だいおうしょう)は、箱根ガラスの森にあり、箱根の新しいパワースポットとして人気を集めている松。普通の松の葉は2本に分かれているが、この大王松は3つに分かれている。松の葉を身につけていると幸福になれると言われており、お守りとして持ち帰る観光客も見られる。商売繁盛、出世のご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原940-48
深沢銭洗弁財天
深沢銭洗弁財天(ふかざわぜにあらいべんざいてん)は、神奈川県箱根町の箱根登山鉄道塔ノ沢駅の上りホームのはずれに祀られている銭洗弁財天。通称・深沢銭洗弁天(ふかざわぜにあらいべんてん)。
大正15年に地元の人の手で建立された。深沢の清流を引き込んでいるのでその名があるが、鎌倉の銭洗弁財天と同じようにひしゃくとざるが置かれ、お金を洗い福徳を祈願することができる。「弁天癒水」と呼ばれる境内の水でお金を洗うと何倍にも増えて金運向上のご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤
三溪園
三溪園(さんけいえん)は、横浜市中区にある庭園。17.5haの敷地に17棟の日本建築が配置されている2006年11月17日に国の名勝に指定された
。実業家で茶人の原富太郎によって作られた。名称の三渓園は原の号である三渓に由来する。合格祈願・学問にご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市中区
恋人の丘
恋人の丘「龍恋の鐘眼」は、神奈川県藤沢市江の島にある展望スポット。
ここにある龍恋の鐘は天女と五頭龍伝説にちなんで建造されたもので、カップルたちが愛を誓うスポットとして人気が高い。
住所 神奈川県藤沢市江の島2丁目
浅間神社
浅間神社は、神奈川県秦野市西田原のヤビツ峠に向かう途中にある神社。御祭神は木花咲耶姫命。境内から秦野市の絶景を見渡せる。
お祀りされているのは、日本神話に出てくる「木花咲耶姫命」で、素晴らしい縁結びのご利益がある神様です。 その他にも、安産や妻の守護神、子育ての神様でもあるので、女性に人気のパワースポットです。
住所 神奈川県秦野市西田原
弘明寺
弘明寺(ぐみょうじ)は、横浜市南区にある高野山真言宗の寺院。瑞應山蓮華院と号し、横浜市内最古の寺院である。
本尊の木造十一面観音立像(通称「弘明寺観音」)は、国の重要文化財。病気平癒や心願成就のご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市南区弘明寺町267
洒水の滝
洒水の滝(しゃすいのたき)は、神奈川県山北町の最勝寺境内にある修行滝。
「洒水」=「しゃすい」の名は、密教用語で清浄を念じてそそぐ香水を指す。雄大なその姿は三段からなり、落差は一の滝は69m、二の滝は16m、三の滝は29mという豪快な滝で、古くから相模の国第一の滝とされ「新編相模国風土記稿」では「蛇水の滝」と記されている。
この滝は鎌倉時代の名僧文覚上人が百日間も滝に打たれる荒行を積んだ地としても知られており、付近には文覚上人が安置したといわれる滝不動尊(不動明王「穴不動」)がある。幸せダルマは幸運のご利益があるとされています。
住所 神奈川県山北町
箱根
箱根(はこね、函根)は、静岡県に近い神奈川県南西部の一角、箱根カルデラ近辺の一帯を指す地名。
地図の上では、行政区画としての箱根町におおむね重なる概念である。古来東海道の要衝であり、「天下の険」と謳われた難所箱根峠のふもとには宿場や関所が置かれた。近代以降は保養地・観光地として発展。各所に湧く温泉や、芦ノ湖、大涌谷、仙石原などがとりわけ有名である。
1936年に「富士箱根国立公園」(現・富士箱根伊豆国立公園)に指定されている。開運、交通安全、心願成就、安産祈願などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡
厳島神社
厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、横浜市中区にある神社である。横浜村の鎮守で、宗像三女神(市杵島姫尊、多紀理姫尊、多岐都姫尊)を祭神とする。
元来は洲干島(しゅうかんじま)とも呼ばれる入江の砂州上の寒村であった横浜村の更に先端にあり、洲干弁天社と称した。創建は治承年間で、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進したと伝えられる。足利氏満は般若心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光は朱印地を与えている。
浜辺の松林で覆われた境内は対岸の神奈川宿台町からの眺望十五景の一つ(「洲干雪」)にも数えられるほどの景勝地であった。 また境内には瓢箪池があり、清水が湧き出たため「清水弁天」とも、また所在地から「横浜弁天」とも呼ばれた。敷地は南は太田町5丁目、北は南仲通5丁目、東は弁天通5丁目、西は海岸で寄州になっており、1万2千坪という広々とした場所であった。今の神奈川県立歴史博物館(横浜正金銀行本店跡)のあたりに一の鳥居があった。鳥居は四の鳥居まで存在していたとされる。開港後、門前が弁天通として整備された。
秀閑寺という別当寺を有したが廃絶、慶安年間以降は元町1丁目の増徳院が別当になった。元禄年中この元町の増徳院境内に仮殿を造営し、上之宮杉山弁天と唱え、平日はご神体をここに奉安して置き、本社には前立のご神体のみを置いて下之宮清水弁天と呼んだ。
1869年に街区拡張のため、現在地の羽衣町に移転して厳島神社と改称。金運・商売繁盛・縁結び・子宝などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市中区羽衣町2-7-1
鎌倉宮
鎌倉宮(かまくらぐう)は、神奈川県鎌倉市にある神社である。別名・大塔宮(おおとうのみや)。
護良親王(もりながしんのう)を祭神とする。
護良親王は後醍醐天皇の皇子で、父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興(建武の新政)を実現したが、その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉され、建武2年(1335年)の中先代の乱の混乱の中で尊氏の弟の直義の命で、家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって殺められた。
本殿の後方にある土手の穴が、親王がおよそ9か月間幽閉されていた土牢であるという古伝承がある。「盃割り舎」では、盃を石に投げて割ることで煩悩を払うことができるという。
また、拝殿の前に置かれてある「かわらけ」に息を吹きかけてから、そのかわらけを地面に埋め込まれた「厄払い石」に投げて割れば、厄払いになるといわれている。かわらけに息を吹きかけることで体の中の悪いものを移し、それを割ることで悪いものをなくすという。
境内には「撫で身代り」「鎌倉宮の身代わりさま」がある。護良親王に従って戦い、吉野の戦いで親王の身代わりとなって最期を遂げた武将・村上義光の姿を、境内の樹齢103年の欅の大木で彫り上げた像である。自分や大切な方の気になる場所を心を込めて三回撫でる。厄除け・身代わりや病気を治すなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市二階堂154
六所神社
六所神社(ろくしょじんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町にある神社である。
相模国の総社で、毎年5月5日には往古神領であった大磯町国府本郷の神揃山(神集山)で国府祭(こうのまち)を催行し、相模国の一宮から四宮および五宮格である平塚八幡宮の神輿渡御を受ける。恋愛成就、厄除招福、家庭円満などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県中郡大磯町国府本郷935
白笹稲荷神社
白笹稲荷神社(しらささいなりじんじゃ)は、神奈川県秦野市今泉の神社。関東三大稲荷(茨城・笠間稲荷、東京都北区・装束稲荷)の一つに数えられている。キツネは、稲の神様の女神がキツネに乗ってきたという伝説から、田の神様とされている。家内安全、仕事・商売繁盛、健康・病気治癒、厄除けなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県秦野市今泉1090
極楽寺
極楽寺(ごくらくじ)は、神奈川県鎌倉市極楽寺にある真言律宗の寺院である。山号は霊鷲山(りょうじゅさん)。詳名を「霊鷲山感応院極楽律寺」と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は北条重時、開山は忍性である。
鎌倉市の西部、鎌倉七口の1つである極楽寺坂切通しの近くにある、鎌倉では珍しい真言律宗の寺院である。僧忍性が実質的な開祖である。中世には子院49箇院を有する大寺院であった。縁結び、安産、厄除けからペットの健康などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市極楽寺3-6-7
大山寺
大山寺(おおやまでら)は、神奈川県伊勢原市にある真言宗大覚寺派の寺院である。大山不動の通称で知られる。山号は雨降山(あぶりさん)。
本尊は不動明王。開基(創立者)は良弁(ろうべん)と伝える。高幡山金剛寺、成田山新勝寺と共にしばしば「関東の三大不動」に数えられ、江戸期には江戸近郊の観光地として賑わい、落語にも「百人坊主」として題材に取り上げられるほど、広く一般に浸透した。「厄除け」のご利益があるとされています。
住所 神奈川県伊勢原市大山724
児玉神社
児玉神社(こだまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江ノ島にある日露戦争で活躍した明治時代の軍人・児玉源太郎を祀った神社である。大正7年(1918年)創建。
児玉がかつて台湾総督として台湾の近代化に努力した縁により台湾の有志から贈られた、口の中の玉が回る名品の狛犬が有名。「勝負運」のご利益があるとされています。
住所 神奈川県藤沢市江ノ島1-4-3
安房口神社
安房口神社は、神奈川県横須賀市の神社。御祭神は天太玉命(あまのふとたまのみこと)。三浦半島最古の神社の一つ。
御神体の霊石は、安房国洲崎明神に竜宮から献上された大きな石が二つ置かれていて、ある時、その一つが安房大神太玉命の御霊代として東国鎮護のためにこの場所に飛んできたと言われている。「武勲」や「子育て」それに「安産」などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横須賀市吉井3丁目
成田山横浜別院延命院
成田山横浜別院延命院(なりたさんよこはまべついんえんめいいん)は、神奈川県横浜市西区宮崎町にある真言宗智山派の寺院。成田山新勝寺(千葉県成田市)の横浜別院で、通称は野毛山不動尊、横浜成田山。
本尊不動明王は、もと徳川家の秘蔵仏であったが、元禄年間成田山へ徳川家より累代祈願を懇願された際に賜ったもので聖宝(理源大師)の作と伝わる。厄除けなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市西区宮崎町30
阿弥陀寺
阿弥陀寺は、神奈川県足柄下郡箱根町、箱根湯本にある寺院。箱根登山電車の箱根湯本駅から徒歩30分に位置する。
6月中旬から7月上旬にかけて、参道から本堂までの山道の両側に、3000株とも言われる色とりどりのあじさいが咲き乱れる。すべて住職が手植えしたもの。
諸願成就、開運招福、家内安全、身体健康などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤24
浄智寺
浄智寺(じょうちじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内(やまのうち)にある禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属する。鎌倉五山第4位。山号を金峰山(きんぽうざん)と称する。本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、それぞれ過去・現在・未来を象徴する。境内は「浄智寺境内」として国の史跡に指定されている。
東慶寺の東、建長寺の西南の谷戸(やと)に位置し、参道は砂岩の一種である鎌倉石で舗装されている。重層一間一戸の三門は、上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のもので、花頭窓をあしらった中国風の意匠が特徴である(近年この門は全面的に改築されてまったく新しくなってしまった)。この門をくぐったところに、本尊の三世仏を安置する曇華殿(仏殿)がある。境内は樹木が豊かで起伏に富み、江ノ島鎌倉七福神の一である布袋の石像をまつる洞窟もある。この布袋のお腹を撫でると元気がもらえるという。
なお、境内入り口にある湧き水は鎌倉十井のひとつ「甘露の井」である。また、寺の裏山からは源氏山に抜けられる。布袋尊像は鎌倉・江ノ島七福神のひとつで、おなかをなでると心身が健康になるご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内1402
早雲寺
早雲寺(そううんじ)は神奈川県足柄下郡箱根町湯本にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は金湯山。本尊は釈迦如来。寺内には後北条5代の墓、連歌師・宗祇の碑がある。
国の重要文化財の織物張文台及硯箱、北条早雲肖像画、県指定文化財の北条氏綱・氏康らの肖像画がある。良縁成就のご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町湯本405
真鶴岬
神奈川県真鶴半島の先端にある三つの岩。正式名は「笠島」という。
正月の日の出には他県からも大勢の観光客が訪れる「日の出」で有名なスポット。古くには江戸時代末期、黒船の来襲を懸念した幕府は、この岬にも砲台を建造した。商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡真鶴町
寿福寺
寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷(おうぎがやつ)にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派に属する。鎌倉五山第3位の寺院である。山号を亀谷山(きこくさん)と称し、寺号は詳しくは金剛寿福禅寺という。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。鎌倉三十三観音第24番。鎌倉二十四地蔵第18番。
源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。この地は、奥州征伐に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした源氏家父祖伝来の地である。また、この地に頼朝の父源義朝の旧邸があり、1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。
住所 神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-17-7
月読神社
月読神社は、川崎市麻生区の神社。
約450年前、武蔵國都築郡麻生郷の領主小島佐渡守が打続く応仁戦乱の苦悩にあえぐ領民のため、天下泰平五穀豊穣を祈願して、伊勢皇大神宮別宮月讀宮の分霊を勧請、天文3年9月29日亀井城の卯の方に社殿を建立し、1尺1寸8分の尊像を奉安したのが創始である。安産・厄除け・家内安全・交通安全・学業成就のご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市麻生区下麻生760
嵐山(あらしやま)は、神奈川県相模原市緑区にある山である。標高は406m。他地域の嵐山と区別するため相模嵐山とも呼ばれる。
相模湖の湖畔、相模ダムの500m程南東に位置する。南の道志山塊、北の小仏山脈の中間にあることから、間の山(あいのやま)が本来の山名であったが、山容と落葉広葉樹林などの景観が京都の嵐山に似ていることから、いつのころから嵐山と呼ばれるようになった。
登山道があり、山頂は樹林が多いが、相模原市や相模湖、富士山や高尾山などを望むことができ、かながわの景勝50選の選ばれている。
山頂には産霊宮水上神社(むすびのみやみなかみじんじゃ)がある。小さな神社だが願い事を叶える霊力は格別だという。厄除け、開運、
住所 神奈川県相模原市緑区
箱根九頭龍神社分社
箱根九頭龍神社分社は、箱根神社の境外末社九頭龍神社の分院で、箱根神社境内にある。近年、龍神の持つ「金運・開運」「縁結び」のご神徳に注目が集まっている。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
海南神社
海南神社(かいなんじんじゃ)は、神奈川県三浦市にある神社。三崎港から市街地を少し山手に入った地点に鎮座する。相模国三浦総鎮守。
藤原資盈(ふじわらのすけみつ)、資盈の后である盈渡姫、及び地主大神を祀る。
清和天皇の治世、皇位継承争いに絡んで讒訴を蒙り左遷された藤原資盈が貞観6年(864年)、任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着、当地の長に推戴された。その後資盈は房総の海賊を平定し、また福祉に努めたため地元民から崇敬され、貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀った。天元5年(982年)になると、現在の地に社殿が建立され、三浦郡の総社となった。
承応2年(1653年)には正一位に列せられ、享保4年(1719年)には三浦半島の総鎮守となった。明治6年(1873年)に郷社となり、明治40年(1907年)に神饌幣帛料共進神社に指定されている。
境内社として、磐鹿六雁命を祭神とする相州海南高家神社、疱瘡の神・源為朝を祭神とする疱瘡神社がある。安産・子宝などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県三浦市三崎4丁目12-11
伊勢原大神宮
伊勢原大神宮(いせはらだいじんぐう)は神奈川県伊勢原市伊勢原三丁目にある神社。所在地の地名「伊勢原」の由来に深くかかわっている神社である。
元和6年(1620年)、この地を開拓した伊勢出身の山田曽右衛門と鎌倉出身の湯浅清左衛門によって伊勢神宮より祭神を勧請し、創建された。
御祭神は、天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)で万事が円満で、縁結び・夫婦円満・子宝などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県伊勢原市伊勢原3丁目8-1
平塚八幡宮
平塚八幡宮(ひらつかはちまんぐう)は、神奈川県平塚市にある神社。毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山(神集山)で行われる国府祭(こうのまち)に参加する相模五社の1社であり、相模国の五宮格とされている。古くは鶴峯山八幡宮(つるみねさんはちまんぐう)と呼ばれていた。勝負祈願・厄除け・安産祈願などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県平塚市浅間町1-6
腰掛神社
腰掛神社(こしかけ じんじゃ)は神奈川県茅ヶ崎市芹沢にある神社。茅ヶ崎市の神社では最も北部に位置している。社地の森林は市指定の天然記念物となっている。
日本武尊ゆかりの神社。社名は日本武尊が東征の際に、この地で石に腰掛けて、大山を眺めて休憩したという伝説に由来している。またそこに住む村人が日本武尊を偲び、その石を御神体として社を建てたのが腰掛神社の始まりと伝えられる。本殿脇には、そのときの石と伝えられる大きな石(腰掛玉石)が祀られている。境内には本殿や拝殿のほか、神仏習合の名残で鐘楼がある。時期については不明であるが、震災で本殿と拝殿は一度壊れた。拝殿は震災後に修復され、現存の本殿は大正7年(1918年)に修復したものである。寛政元年(1799年)11月に社殿は再建される。明治6年(1873年)、社格は村社となった。交通安全、開運招福、産業振興、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県茅ヶ崎市芹沢2169
宝泉寺
宝泉寺(ほうせんじ)は、神奈川県藤沢市にある曹洞宗の寺院(禅寺)。山号は「玉雄山」。「萩の寺」としても知られている。
修行僧に食事、坐禅などの時刻を伝える雲板は市の指定重要文化財となっている。また、境内の森は「ふるさとの森」として藤沢市指定をうけている。
「藤沢の大仏さま」こと宝泉大仏(ほうせんだいぶつ)が鎮座する。中国で造られた青銅製で、船で日本に来られ平成八年に寳泉寺境内に鎮座された。日本の大仏は右手に梵字の幸福を表し、人々を救うと云う意味で左手の手の平を上に向けているが、宝泉大仏は邪悪なものはおさえるという意味で左手の手の甲を上へ向けている。
布袋像の前に置いてある石の玉(布袋玉)は、優しく撫でてから持ち上げると軽く感じられるという。無用息災にご利益があるとされています。
住所 神奈川県藤沢市遠藤6094
サザンビーチちがさき
サザンビーチちがさきは、神奈川県茅ヶ崎市中海岸にある海水浴場である。旧・茅ヶ崎海水浴場。
平成に入ってから海水浴客の減少に苦悩していた茅ヶ崎市観光協会が1999年に地元茅ヶ崎市出身の桑田佳祐が率いるサザンオールスターズの名にあやかり、茅ヶ崎海水浴場からサザンビーチちがさきに改名した。
烏帽子岩や江ノ島、富士山が見え、海から昇る初日の出が見られるパワースポットとしても知られる。
茅ヶ崎の頭文字「C」の形をした、サザンビーチのシンボルとなるモニュメント「茅ヶ崎サザンC」がある。Cの右側に人が立つとCの切れ目が繋がって円(縁)になる縁結びの名所。円の中心に「えぼし岩」が顔を出す。
住所 神奈川県茅ヶ崎市中海岸3丁目4
龍口明神社
龍口明神社(りゅうこうみょうじんじゃ)は神奈川県鎌倉市腰越地域腰越にある神社。 創建は538年(552年との説も)と伝わり、鎌倉市に現存する神社では一番古い。御祭神は玉依姫命、および五頭龍大神。
玉依姫命は神武天皇の母、海神族の祖先で、龍神として崇められたと伝えられる。もう一つの祭神である五頭龍大神は、江の島の弁財天に悪業を戒められた龍であると伝えられ、江の島弁財天とは深い関係にある。
この龍が改心し岩山と化した後、津村(腰越および隣接の現鎌倉市津一帯)の村人達が、龍の口にあたる岩上(龍口)に社を築いて白髭明神と称し、村の鎮守としたことが、龍口明神社の発祥とも伝えられている。
また、養老7年(723年)、江の島岩窟中で修行中の泰澄・慈覚両大師が、夢に現れた神々を彫り、弁財天1体を江の島弁財天の別当寺の岩本院に、2体を白髭明神に納めたものが、ご神体の玉依姫命(長さ約15cm)と五頭龍(長さ約30cm)の木像である。この時に、龍口明神社と名付けたとされる。
弘安5年(1282年)に社前で一遍が念仏勧化を行った。その様子が国宝『一遍聖絵』にえがかれている。主祭神は玉依姫命と五頭龍大神で、縁結び、子宝、安産、国家安泰、心願成就、交通安全などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市腰越1548番地4
總持寺
總持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目にある曹洞宗の大本山である。山号は諸嶽山(しょがくさん)。本尊は釈迦如来。境内にある鶴見大学を運営する。乳の出ないで困っている女性や、子育てに悩んでいる両親を手助けしてくれるというご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1-1
生藤山
生藤山(しょうとうさん)は、東京都西多摩郡檜原村と神奈川県相模原市(旧津久井郡藤野町)との境界にある標高990.3mの山である。頂上に登る道も巻道も両方ある。
奥多摩山域の南端。神奈川県の最北端。神奈川県立陣馬相模湖自然公園。
昔は国境の木は伐らないルールがあり、生藤山は二国国境のため「切り止め山」と呼び、これが「きっと山」「生藤山」となり、「しょうとうさん」と呼ぶようになったといわれています。縁結び、子宝、安産、厄除け、招福、延命長寿などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県相模原市緑区
秋谷の立石
秋谷の立石は、神奈川県横須賀市の秋谷海岸にある大きな岩礁。高さ12m、周囲30mの巨岩が海中にそそり立っている。かつて初代安藤広重の版画『相州三浦秋谷の里』にも描かれた景勝地として知られ、今は夕日のポイントとして人気。
住所 神奈川県横須賀市秋谷3丁目
妙本寺
妙本寺(みょうほんじ)は、神奈川県鎌倉市大町にある、日蓮宗の本山(霊跡寺院)。山号は長興山。
妙本寺のある谷戸は、現在は比企谷(ひきがやつ)と呼ばれ、鎌倉時代には比企能員一族の屋敷があった。
比企能員は、源頼朝に仕えた御家人で、頼朝の乳母・比企尼の養子にあたり、妻は源頼家の乳母、娘の若狭局は頼家の妻となり頼家の子・一幡を生むなど、源氏とは深い関係を持った。このため、頼朝の妻・北条政子の実家である北条氏とは対立するようになった。1203年(建仁3年)に頼家が病気で倒れると、次の将軍を誰にするかで、千幡(後の源実朝)を推す北条氏と、若狭局が生んだ一幡を推す比企氏の間で争いが起きた。能員は頼家と北条氏討伐を謀るが察知され、名越で殺害され、比企一族は比企谷の谷戸(小御所)に篭って北条氏らの軍勢と戦うが敗れ、屋敷に火を放って自害した(比企能員の変)。若狭局は、池(蛇苦止の池)に身を投げて自害し、一幡も戦火の中で死んだ。
能員の末子・能本は生き残り、後に京都へ行き、順徳天皇に仕え、承久の乱で順徳天皇が配流になると、佐渡まで供をした。彼の姪にあたる竹御所(源頼家の娘)が4代将軍九条頼経の妻になったことから許されて鎌倉に帰った。1234年(文暦元年)に竹の御所は出産時に死去、遺言として自仏像であった釈迦立像を祀る釈迦堂を建立し、その下に竹の御所は葬られた。能本は儒学者として、幕府につかえ、鎌倉で布教していた日蓮に帰依していたため、邸宅を献呈し堂宇とし、妙本寺とした。以後日蓮宗の重要な拠点となった。病気平癒のご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市大町1-15-1
妙園寺
妙園寺(妙円寺)は、神奈川県平塚市にある天台宗の寺院。比叡山延暦寺を総本山とする。
土屋の弁天さん・土屋銭洗弁天、と呼ばれ親しまれている。近年はパワースポットとして人気。願望成就のご利益があるとされています。
住所 神奈川県平塚市土屋1949
貴船神社
貴船神社(きぶねじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡真鶴町にある神社である。大国主神・事代主神・少彦名神を祀る。「貴船神社」という社名であるが、京都市の貴船神社からの勧請ではない。
社伝では、寛平元年(889年)、三ツ石(真鶴岬)の沖に現れた木像12体と書状を社家平井家の祖先の「平井翁」が発見し、社殿を建てて村の鎮守としたのに始まると伝え、江戸時代まで「貴宮(きのみや)大明神」と称するなど、キノミヤ信仰が顕著であるが、明治元年(1868年)に貴船神社に改称した。
7月27日・28日の例祭は「貴船祭り」「貴船神社の船祭り」と呼ばれ、「日本三船祭」の一つとされている。昭和51年に県の、平成8年に国の重要無形民俗文化財に指定された。大国主(オオクニヌシ)神、事代主(コトシロヌシ)神、少彦名(スクナヒコナ)神が祀られているとのこと。 家内安全、商売繁盛、良縁祈願、身体健全、病気平癒、厄除、海上安全、大漁祈願などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1117
福石
福石は、神奈川県藤沢市江の島にある石。
江戸時代、幼くして失明した杉山和一という鍼医が、江の島弁財天の祠へ詣でた時、山から下りる帰り際に福石につまずいて倒れてしまった。その時、偶然に拾った竹筒に松葉が入っていた。管の中に鍼を入れ管の上部に出た鍼の頭を手で叩いて刺入する杉山式管鍼(くだばり)であった。その後、将軍徳川綱吉の病気を治し関東全域の盲人を束ねる最高位・関東総検校にまで出世した。
今でも、ここで物を拾うと幸運を授かると伝えられている。さわると健康になるといわれ、商売繁盛のご利益もあるとされています
住所 神奈川県藤沢市江の島2丁目214
万葉公園
万葉公園は、神奈川県足柄下郡湯河原町にある緑地公園。
湯河原温泉街の中心部、朱塗りの橋を渡った千歳川沿いにある。湯河原温泉が歌に詠まれた万葉集に登場する80種余りの草花が楽しめる。足湯施設「独歩の湯」がある。恋愛成就の御利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上704
覚園寺
黙号極覚園寺(もくごうごくかくおんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある真言宗泉涌寺派の仏教寺院である。山号を鷲峰山(じゅぶせん)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は北条貞時、開山(初代住職)は智海心慧(ちかいしんえ)である。鎌倉幕府執権北条家歴代の尊崇を集めた寺院である。
相模国と武蔵国を結ぶ金沢街道から北に入った谷戸の奥に位置し、境内および周辺は自然環境が良好に保全され、都市化が進む以前の鎌倉の面影をもっともよく残す寺の1つといわれている。境内は国の史跡に指定されている。厄除け、病気回復、長寿などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市二階堂421
荏柄天神社
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)は、神奈川県鎌倉市の神社。太宰府天満宮、北野天満宮とならぶ日本三天神の1つ。
本殿は1622年の鶴岡八幡宮造営の時に八幡宮の若宮社本殿を移築した物で、鎌倉残る最古の木造建築物。受検の合格祈願、学業成就、文芸上達にご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市二階堂74
浄妙寺
浄妙寺(じょうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の禅宗寺院。山号は稲荷(とうか)山。詳名は「稲荷山浄妙廣利禅寺」という。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利義兼、開山(初代住持)は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)。
鎌倉五山の第五位。鎌倉三十三観音第9番。足利貞氏の墓とされる宝篋印塔がある。婦人病に霊験のある神・淡島大明神立像がある。
住所 神奈川県鎌倉市浄明寺3丁目8-31
公時神社
公時神社(きんときじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡箱根町仙石原にある神社。
金時山山麓に立つ神社で、金太郎のモデルになったという坂田公時が祭神として祀られている。
毎年子供の日に行われる「公時まつり」では国の指定文化財に指定されている湯立獅子舞が披露される。子育てにご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1181
児玉神社
児玉神社(こだまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江ノ島にある神社。
日露戦争で活躍した明治時代の軍人・児玉源太郎を祀った神社である。勝負運にご利益があるとされています。
住所 神奈川県藤沢市江の島1丁目4-3
北条氏政・氏照の墓
神奈川県小田原市にある北条氏政・氏照の墓。北条氏政は、北条4代の領主。氏照は、氏政の弟で、八王子城など5つの支城の城主だった。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めにより小田原城が落城すると、5代領主氏直は高野山に追放され、父氏政とその弟氏照は、城下の田村安斉邸(現南町)で自刃した。両人の遺体は、当時この地にあった北条氏の氏寺、伝心庵に埋葬された(現在、永久寺所有)。その後、放置されていた墓所は、稲葉氏が城主のとき(1633〜1685年)、北条氏追福のため整備された。大正12年(1923年)の関東大震災で墓所が埋没する被害を受けたが、翌年、地元の有志により復元された。現墓所には、氏政・氏照および氏政の夫人といわれる墓がおかれていて、3基の五輪塔と墓碑1基がある。
この墓所は「幸せの鈴」のパワースポットと言われ、墓所に置かれている鈴に願をかけて持ち帰り、願いが叶うと返納する若者が後を絶たない。
住所 神奈川県小田原市栄町2丁目
正楽寺
正楽寺は、神奈川県川崎市の浄土真宗本願寺派寺院。子宝祈願や性病治癒にご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市幸区南幸町2丁目49
松原神社
松原神社(まつばらじんじゃ)は神奈川県小田原市にある神社である。小田原総鎮守。
5月3日から5日に松原神社例大祭が行われる。地区により浜降りが行われ、本社神輿は各町を持ち回りで渡御される。各町は山車、屋台、御輿を出し、宮入が行われる。
住所 神奈川県小田原市本町2丁目10-16
宝蓮寺
宝蓮寺は、神奈川県秦野市にある臨済宗建長寺派寺院。蓑毛山と号する。
1669年(寛文9年)に領主の揖斐(いび)氏が、同族の宝蓮信女の菩提を願い、大日堂の管理をしていた薬音寺を再興し、宝蓮寺と改称した。
この絵図は、1790年(寛政2年)に描かれた境内絵図があり、当時の宝蓮寺全景を知ることができる。縁結びや商売繁盛、学業成就や厄除けなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県秦野市蓑毛674
元箱根石仏群
元箱根石仏群は、神奈川県足柄下郡箱根町にある石仏群。
磨崖仏俗称六道地蔵(まがいぶつぞくしょうろくどうじぞう)を中心とする大規模な仏教遺跡で、鎌倉時代に成立した。湯坂道の最も険しい峠にあたり、厳しい気候と火山性の荒涼とした景観であったために、地獄の地として広く知られていた。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
名古木御嶽神社
名古木御嶽神社は、神奈川県秦野市名古木(ながぬき)にある神社。
祭神は倭建之命。創立年不詳。御嶽社、第六天社、蔵王社を鎮守としていたが、明治6年に合祀して御嶽神社と改称する。倭建之命が東征のときに大樹の下に腰をおろして大山丹沢富士を一望され御嶽社を建立したと伝えられている。例大祭は4月第三日曜日。商売繁盛や宝くじが当たると人気のパワースポットです。
住所 神奈川県秦野市名古木457-10
釈迦堂切通し
釈迦堂切通しは、神奈川県鎌倉市にある切通し(山や丘などを掘削し、人馬の交通を行えるようにした道)。
鎌倉時代の面影を良く伝えており、上部を残した洞門の様な形になっている。鎌倉幕府三代執権・北条泰時が父・二代執権北条義時の霊を慰めようと建立した釈迦堂が、洞門の北側入り口の西方にあったといわれる。一帯は北条時政の屋敷跡である。婦人病などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市大町6丁目
二宮神社
二宮神社は神奈川県相模原市の神社。御祭神は二宮尊徳命。
昭和二十二年四月、小田原の報徳二宮神社を勧請。現社殿は、昭和四十四年に再建したものである。学問にご利益があるとされています。
住所 神奈川県相模原市南区南台5丁目9-5
中川の箒杉
中川の箒杉は、神奈川県足柄上郡山北町にある杉の巨木。箒沢集落の入口付近に位置する。胸高約12m、根廻り約18m、高さ約45m、推定樹齢2000年以上とされる。
住所 神奈川県足柄上郡山北町中川
太田和つつじの丘
太田和つつじの丘は神奈川県横須賀市の自然公園。つつじの名所。マツツジやキリシマツツジ、ヒラドツツジなど、5万本のツツジが咲く。5月上旬が見ごろとなる。
住所 神奈川県横須賀市太田和5丁目
石垣山城
石垣山城(いしがきやまじょう)は、神奈川県小田原市早川にあった陣城跡である。石垣山一夜城または太閤一夜城とも呼ばれている。
豊臣秀吉が1590年(天正18年)の小田原征伐の際に小田原城の西3kmにある笠懸山の山頂に構築した。小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たした、といわれる(一夜城の名もそれに由来する)。
石垣や櫓を備えた本格的な「近世城郭」であり、関東で最初に造られた総石垣の城であった。約3~4万人を動員し、80日で構築された。秀吉はこの城で茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えた。当時、天守があったかは不明であるが、天守台跡はある。関東大震災で石垣に被害を受けたが、井戸曲輪の石垣は地震に耐えて現在もよく残っている。
この井戸曲輪がパワースポットと言われている。
住所 神奈川県小田原市早川
白鳥神社
白鳥神社は、神奈川県川崎市麻生区の神社。御祭神は日本武尊。
白鳥神社の社名は、日本武尊の魂が大白鳥となって天かけたという故事に依る。現在の白鳥の地名は、この白鳥神社に由来する。商売繁盛・開運招福・諸願成就・五穀豊穣のご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市麻生区白鳥2-10-1
永谷天満宮
永谷天満宮(ながやてんまんぐう)は、神奈川県横浜市港南区にある菅原道真を祭神とする神社(天満宮)。
大宰府に左遷された道真が自身を鏡に映して自ら彫ったと伝わる高さ1寸8分(6cm弱)の道真像三体のうちの一つを神体として安置する。他の2体のうち一つは道真の墓がある太宰府の安楽寺、廃仏毀釈による廃絶後は太宰府天満宮。一つは出生地である河内国土師郷の先祖代々の菩提寺である道明寺、神仏分離後は道明寺天満宮に安置されている。これらを「日本三躰天神」と称する。合格祈願のほか、子どもの無事成長にご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市港南区上永谷5丁目1-5
健速神社
健速神社(たけはやじんじゃ)は、神奈川県秦野市の神社。御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。本殿の建立が1636年(寛永13年)といわれ、本殿は秦野市内最古のものといわれる。
毎年9月の第1日曜日に例大祭が行われ、神輿が家々の門前で焚く麦わらの火を渡りながら神社に奉納される「火渡り神輿」が見られる。病気平癒などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県秦野市下大槻611
鵜野森日枝神社
鵜野森日枝神社は、神奈川県相模原市南区鵜野森の神社。
御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)。
住所 神奈川県相模原市南区鵜野森2丁目29-1
本覚寺
本覚寺は神奈川県海老名市にある真言宗大覚寺派寺院。相模七福神の一つ。
弘法大師作と言われる毘沙門天が祀られている。
住所 神奈川県海老名市本郷4618
清浄光寺
清浄光寺(しょうじょうこうじ)は、神奈川県藤沢市にある時宗総本山の寺院。藤沢山無量光院清浄光寺と号す。代々の遊行上人が法主(ほっす)であるため遊行寺(ゆぎょうじ)の通称の方が知られている。藤沢道場ともいう。
住所 神奈川県藤沢市西富1-8-1
称名寺
称名寺(しょうみょうじ)は、神奈川県横浜市金沢区金沢町にある真言律宗別格本山の寺院。
山号は金沢山。本尊は弥勒菩薩。新四国八十八箇所霊場七十五番。
住所 神奈川県横浜市金沢区金沢町212-1
翠ケ丘出雲神社
翠ケ丘出雲神社は神奈川県相模原市の神社。御祭神は大国主神。
住所 神奈川県相模原市南区相南3-26-25
加瀬山
加瀬山は、神奈川県川崎市幸区にある標高約35mの丘。
現在は大部分が夢見ヶ崎公園・動物公園となっているが、南加瀬貝塚の他、白山古墳などの古墳群がある。
了源寺、寿福寺の他、熊野神社、浅間神社が祀られている。浅間神社は6号古墳の上に鎮座する。縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市幸区南加瀬
ラゾーナ出雲神社
ラゾーナ出雲神社は神奈川県川崎市のラゾーナ川崎プラザ屋上緑地にある神社。
出雲大社から1916(大正5)年頃に分祀されたもので、当時は東芝の前身である東京電気の川崎工場(後の東芝堀川町工場)の安全と繁栄を祈念して祀られていた。
2006(平成18)年9月の「ラゾーナ川崎プラザ」完成を機に、現在の地位に遷座された。
また、屋上緑地の池の金魚は、この工場で飼われていたものを放流している。縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市幸区堀川町72番1号
熊野神社
宮ヶ瀬熊野神社は、神奈川県愛甲郡清川村宮ヶ瀬の神社。明暦元年(1655年)創建の宮ヶ瀬の氏神社である。
平成3年に宮ヶ瀬ダムができた際、現在の宮ヶ瀬湖畔に遷座した。恋愛運や健康運・子孫繁栄、家内安全に心願成就、子授りに子育大願、悪縁消除などなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県愛甲郡清川村宮ヶ瀬
福寿院
福寿院(箱根観音)神奈川県足柄下郡箱根町の曹洞宗寺院。通称「箱根観音」と親しまれるお寺。
本尊である中国渡来の清滝浄行観世音は10月17日のみ開帳される秘仏で、坂の途中に祀られている「また木観音」は分身。清滝浄行観世音は商売繁盛、勝負事、宝くじのご利益があるとされる。「また木」と呼ばれる丸太にまたがって菩薩像を触ると、体の悪い部分が治ると言われている。
本堂には台湾の寺と姉妹寺院である縁でエキゾチックな東洋の雰囲気を醸し出す媽祖菩薩(馬祖菩薩、まそぼさつ)も祀られている。
観音沢の急斜面に位置しながら関東大震災の際も被害がなかったことで、不思議なパワースポットとされている。薬草茶による接待もある。法話と坐禅、祈祷や供養(全て要予約)も行っている。陸上・航空安全、除災招福、不老長寿、商売繁盛などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町湯本茶屋182
厳島神社
厳島神社は神奈川県足柄上郡中井町井ノ口1310番の神社。厳島湿生公園に位置する。
文化4年(1807年)に建てられ数度の改築を経ている。江戸時代は「弁天様」と呼ばれたが、明治2年(1869年)厳島神社と改名された。
祭日は4月16日であったが現在は蓑笠神社の祭日と同じ日になっている。金運・商売繁盛・縁結び・子宝などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄上郡中井町井ノ口1310番
本圓寺
本圓寺は神奈川県三浦郡葉山町にある日蓮宗寺院。山号は大明山。
大明寺評定五ヶ寺の一つ。美容・恋愛・癒しのご利益があるとされています。
住所 神奈川県三浦郡葉山町木古庭1662
大巧寺
大巧寺(だいぎょうじ)は、神奈川県鎌倉市の寺院。安産祈願で知られる。
第5世住職の日棟(にっとう)が難産で亡くなった女性の霊を慰め、祭ったことから安産の守り神「おんめさま」として親しまれている。安産にご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市小町1丁目9-28
二重神社
二重神社(にじゅうじんじゃ)は神奈川県伊勢原市にある神社。大山阿夫利神社 地図の摂社である。御祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)。
そばには「二重の滝」がある。自然の岩が二段に分かれ、上段の断崖から湧き水が生じ、二段の岩壁に流れ出ることに由来する。
神社の右に建っている御神木の杉の木がパワースポットだという。延命長寿などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県伊勢原市大山
徳常院
徳常院は、神奈川県小田原市の曹洞宗寺院。
江戸駒込八百屋お七の恋人吉三郎が、お七の菩提を弔うために作ったという伝承から、吉三地蔵(きちざじぞう)という地蔵尊を祀る。もとは箱根芦ノ湖畔の賽の河原に安置されていたもので、江戸増上寺塔頭(たっちゅう)にいた心誉常念が、正徳3年(1713年)、神田鍋町の鋳物師太田駿河守に作らせたもの。
地蔵尊の正式名称は「福徳延命地蔵菩薩」といい、高さは八尺(約2.4m)、胸幅が五尺(約1.5m)。蓮華台座に半跏趺座(はんかふざ・左足を台座から垂らし、右足を台座の上に曲げて座っている)のお姿。輪のような光背(こうはい)があり、右手には金色の錫杖(しゃく)を持っている。
明治の廃仏毀釈の際、この地蔵尊は、古物商の手によって東京に売られてしまったが、運送中に小田原から船に積もうとしたところ、まったく動かすことができなくなったという。それを聞いた小田原の方々が賽銭を募り、有志が金を出し買い取って、ここ徳常院に建立したという。
近年は携帯ストラップ供養を執り行っており、携帯グッズ専門店「ストラップヤ」では、毎年4月1日の「携帯ストラップの日」に、お客様から送られてきた使用後の携帯ストラップを徳常院にて供養している。開運のご利益があるとされています。
住所 神奈川県小田原市本町3丁目13-11
洲崎神社
洲崎神社は、神奈川県横浜市の神社。
御祭神は誉田別命、大山咋命、倉稲魂命、太田命、磐長比売命、建速須佐之男命。御祭神は女神様なので、とくに女性に特にご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市金沢区洲崎町
七沢森林公園
神奈川県立七沢森林公園(ななさわしんりんこうえん)は、神奈川県厚木市七沢、森の里および上古沢にある森林公園である。
広範囲にわたり雑木林で覆われ、園内には沢も流れ、様々な自生植物や野生動物の姿が見られるなど、かつての面影を色濃く残す都市公園になっている。
住所 神奈川県厚木市七沢901
金山神社
金山神社は、神奈川県相模原市の神社。
御祭神は金山彦命、金山姫命で、商売繁盛・子孫繁栄(子授け)・安産・縁結び・夫婦和合のご利益があるとされています。
住所 神奈川県相模原市南区上鶴間本町5丁目30-20
上諏訪社
上諏訪社は神奈川県三浦市初声町の神社。心身の浄化 ・家庭運・結婚運などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県三浦市初声町三戸1091
鶴嶺八幡宮
鶴嶺八幡宮(つるみね はちまんぐう)は、神奈川県茅ヶ崎市浜之郷にある神社。別名は鶴嶺八幡社。
相模国茅ヶ崎の総社として往古より八幡信仰の本地として名高い。源氏が関東へ進出する際、創建した最初の氏社だという。
長元3年(1030年)9月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠とする源頼信の子源頼義が下総の乱鎮定の折り、京都にある石清水八幡宮を懐島八幡宮として勧請した(宇佐神宮を勧請したとも)のが始まりであるという。後に源氏が現在の場所に分祀した。
社殿脇にある大銀杏は、源義家が戦勝を祈願して自ら植えたという大銀杏で、樹齢約950年。1962年(昭和37年)10月2日、県指定天然記念物。1984年(昭和59年)12月、かながわ名木百選に指定されている。安産、病気平癒、
住所 神奈川県茅ヶ崎市浜之郷462
前鳥神社
前鳥神社(さきとりじんじゃ)は神奈川県平塚市四之宮に鎮座する神社。
相模国四ノ宮であり、毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山(神集山)で行われる相模国府祭(さがみこうのまち)に参加する相模五社の1社である。学問、入学、就職、安全守護などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県平塚市四之宮4丁目14-26
弁天杉
弁天杉は神奈川県愛甲郡清川村、丹沢山中にある巨木。樹齢千年とも言われる。
中川の箒杉と並び称されることも多い。金運のパワースポットとして知られています。
住所 神奈川県愛甲郡清川村宮ヶ瀬
千条の滝
千条の滝は神奈川県足柄下郡箱根町にある滝。
小涌谷「蛇骨川」の上流に位置する。幾筋にも分かれて水が落ちることからこう名付けられた。
カエデやモミジに囲まれ、紅葉の名所でもある。7月上旬ごろにはゲンジボタルが飛び交う。縁結びのパワースポットとして知られて知られています。
住所 神奈川県神奈川県足柄下郡箱根町小涌谷
等々力緑地
等々力緑地(とどろきりょくち)は、神奈川県川崎市中原区にあるスポーツ施設群を有する公園。
陸上競技場の他、体育館、野球場、プール、テニスコートなどのスポーツ施設のほか、博物館も立地している。
アスレチックのある、催し物広場はかわさきおやこ劇場などが、自主活動で使用することもある。
住所 神奈川県川崎市中原区等々力1-1
妙隆寺
妙隆寺は、神奈川県鎌倉市にある日蓮宗寺院。1385年(至徳2)、日英上人によって創建された。
妙隆寺第二祖の日親上人は、激しい修行をしたと伝えられ、修行を行った池が残されている。奥の社の中には日親上人の石像がある。室町幕府将軍足利義教諌めたことから拷問を受け、焼けた鍋を頭に被せられたことから「鍋かむり日親」として広く知られている。
本堂右手のお堂に、鎌倉・江の島七福神のひとり、寿老人が祀られている。妙隆寺の寿老人は、欅一本造りでつくられた像。親しげな表情の寿老人で、足元に鹿を携えている。また境内には、石造りの寿老人も安置されている。幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市小町2丁目17-20
徳善寺
徳善寺は、横浜市瀬谷区の曹洞宗寺院。高さ2mの萩など、約100株の薄紫や白の萩が色とりどりに咲き誇り、「萩の寺」とも呼ばれる。萩を見る会も催される。
横浜市の隠れたパワースポット。縁結びや金運、開運、厄除けなどのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市瀬谷区本郷3-36-6
箱根旧街道杉並木
箱根旧街道杉並木は、神奈川県足柄下郡箱根町の芦の湖畔にある杉並木。
道中には通行手形のない旅人が関所を前に、つかまって悩んだという「爪かきの杉」がある。勝負運や出世運、金運、
住所 神奈川県足柄下郡箱根町箱根
駒形神社
駒形神社は、神奈川県足柄下郡箱根町の神社。箱根神社の別宮にあたる。
箱根禄山に奉斎する駒形大神を勧請して、駒形山大権現と崇められた歴史を持つ。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町箱根290
お玉ヶ池
お玉ヶ池は、神奈川県足柄下郡箱根町にある池。
元禄十五年(1702年)、関所破りの罪で少女が処刑された伊豆大瀬村太兵衞の娘お玉が、奉公先の江戸新田嶋から国元に帰る途中、手形が無いので、箱根関所を通る事が出来ず、裏山から通り抜けようとしたが、発見され捕えられてしまった。江戸時代、関所破りは重罪であり、お玉は処刑され、その首を洗ったとされるのがお玉ヶ池。
処刑場所は、お玉が本道を逸れて、裏山である「屏風山に踏み入った坂道の場所」で行われ、お玉の首を当該薺ヶ池(ナズナ池)現お玉ヶ池で洗ったと云われている。
そのため、心霊スポットとしても知られている。夫婦和合、長寿、子宝、縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町畑宿
高麗山
高麗山(こまやま)は神奈川県の平塚市と大磯町に跨る山。大磯丘陵の東端にあたり、標高168m。
広葉樹の自然林が残り、「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれている。一帯の県有林約29haは、高麗山県民の森に指定されている。歌川広重の『東海道五十三次』では平塚宿にその姿が描かれた。名称は高句麗(中国東北部から朝鮮半島北部にわたる地域)からの渡来人に由来するといわれる。
地元では高麗寺山(こうらいじさん、こうらじやま)とも呼ばれているように江戸時代まで高麗寺という寺が山中にあり、現在の高来神社も高麗神社として寺内にあった。高麗寺は高句麗から渡来した高麗若光を祀った古い寺院と言われるが、室町時代には数度の戦火に見舞われ、廃寺寸前にまで追い込まれる。しかし江戸時代に徳川家が権現信仰のあるこの寺を上野寛永寺の末寺とし東照宮を置いたことから隆盛を取り戻した。しかし明治時代に入るとこのことが仇となり、徳川色を消し去りたい明治政府によってこの寺は廃寺とされ、廃仏毀釈で山内の堂塔は悉く破壊され高麗神社だけが残った。高麗神社は明治時代に高来神社(たかくじんじゃ)と改名し現在に至っている。高麗寺が健在の時は、山頂の大堂とその西側の西天照(現在の八俵山)東側の東天照で三権現と呼ばれ、大堂、東天照の地名は今も山中に残る。なお、江戸時代には高麗寺領は高麗寺村という独立した村となっていた。
虎女(とらじょ)の伝説が残る。虎女とは富士の裾野の仇討ちで有名な曽我物語の中の虎御前のことである。曽我物語の語り部でもあった晩年の虎女は高麗寺の近くに住んだといわれている。
高麗山(こまやま)と泡垂山(あわたらやま)の山頂一帯は湘南平(しょうなんだいら)と呼ばれている。指す。都市計画公園としての名称は、高麗山公園。地元ではかつて千畳敷と呼ばれていたが、公園として整備するにあたり湘南平と呼ばれるようになった。開運・縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県平塚市高根
上行寺
上行寺は神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院。
日蓮上人の孫弟子にあたる日範上人が1313年に開山。本堂は、妙法寺(こけ寺)の法華堂を移築したといわれている。
癌(ガン)はもとより、皮膚病、出来物、すべての病にご利益があるとされる「瘡守稲荷(かさもりいなり)」と、「千手観音像」そして「身がわり鬼子母神」が祀られている。
また堂内には「薬王経石」という石が置かれていて、この石で患部をさすることでご利益があるという。
1860年(万延元年)、桜田門外で大老井伊直弼を襲撃した水戸浪士の広木松之助は、上行寺にかくまわれていたが、後にここで切腹した。現在では墓が残っている。瘡守稲荷(かさもりいなり)と、身がわり鬼子母神が祀られ、癌封じ・開運・水子供養・健康祈願などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市大町2-8-18
青柳寺
青柳寺は、神奈川県相模原市の日蓮宗寺院。山号は方運山。身延山久遠寺の末寺である。
住所 神奈川県相模原市南区上鶴間本町
天照山神社
天照山神社(てんしょうざんじんじゃ)は神奈川県足柄下郡湯河原町にある神社。御祭神は天照皇大神・猿田彦大神・大成大神・天善大神。天照山ハイキングコースの中心に位置する。昭和6年に建立された。
毎年5月22日の例大祭には、全国から多数の信者が訪れる。東京都渋谷区の神宮には天照山神社分祠がある。健康・安全・勝利などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上
住吉神社
住吉神社は、横浜市青葉区の神社。
社そう林(神社内の森)が平成9年市天然記念物に指定されている。商売繁盛、良縁祈願、起業成就、病気平癒、所願成就、出世開運、武勇掲揚、勝利祈願、五穀豊穣、厄除、除災招福、合格祈願にご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市青葉区奈良町
震生湖
震生湖(しんせいこ)は、大磯丘陵北部、神奈川県秦野市と同中井町にまたがる湖。1923年9月1日の関東大震災の際にできた。震災によって付近の丘陵が200mにわたって崩落し、市木沢(いちきさわ)最上部をせき止めたことから、その川筋と窪地が湖となったもの。
流入河川・流出河川ともに存在せず、地下水脈で周囲の水系とつながっている。学問・技芸・音楽の発達、良縁を得て子宝にご利益があるとされています。
住所 神奈川県秦野市今泉1814
法華寺
法華寺(ほっげじ)は、横浜市港北区の寺院。
平安時代から続く古刹で、正式には「熊野山全寿院法華寺」。 恋愛運、勝運、健康運などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市港北区師岡町1168
天照山光明寺
光明寺(こうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市材木座にある浄土宗の寺院である。寺格は大本山。山号を天照山と称する。
本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は北条経時、開山(初代住職)は、浄土宗三祖然阿良忠(ねんなりょうちゅう)である。病魔退散、豊漁満般、家業繁栄にご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市材木座6丁目17-19
精進池
精進池は、神奈川県足柄下郡箱根町にある周囲500mの小さな池。背後に駒ケ岳を控え樹木に囲まれ、深い緑色の水を湛える。
湯治に訪れていた男が娘に身を変えた大蛇との約束を破り、池の中に引きずり込まれ命を落としたという伝説が残る。この池から先は鎌倉時代の箱根越えの難所で、極楽浄土と地獄の分かれ道といわれていたという。このため、周辺には旅人が道中の無事を祈ったという石仏が多く残されている(元箱根石仏群)。縁結びのご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
阿字ヶ池弁財天
阿字ヶ池弁財天は神奈川県足柄下郡箱根町の神社。箱根七福神の弁天を祀る。インド由来の神様。 財福、芸術、学問の神様。 七福神のうち、ただ一人の女神で、芸術、学問、財福にご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡箱根町芦之湯
白山神社
白山神社は、横浜市栄区の神社。御祭神は伊弉冊尊、例祭は九月二十七日。恋愛系縁結び、事業成功、五穀豊穣、大漁満足、開運招福、家内安全、
住所 神奈川県横浜市栄区東上郷町44-9
白糸の滝
白糸の滝は神奈川県横浜市旭区の滝。中堀川の滝である。
落差3.2m。白根神社の境内にある。心身の浄化のご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市旭区白根3丁目261
有鹿神社
有鹿神社(ありかじんじゃ・あるかじんじゃ)は、神奈川県県央地区に流れる鳩川沿いを中心とし、本宮、奥宮、中宮の三社からなる相模国最古級の神社。相模国の延喜式内社十三社の内の一社で、相模国五ノ宮。中世までは広大な境内を誇っていた神社で、当時としては、まだ貴重な『正一位』を朝廷より賜っている。旧社格は郷社。神奈川県で最古の神社で「お有鹿様」とも呼ばれる。
招福、金運のご利益があるという。近年はパンダ宮司が登場しSNS上で大きな話題となった。1つは男性の太陽神である有鹿比古命、もう1つは女性の水神である有鹿比売命。 有鹿比古命は農業や産業振興、有鹿比売命は安産や育児、生命の誕生と生育、そして災いを取り除いてくれる子育て厄除け大明神として知られています。
住所 神奈川県海老名市上郷1-4-41
常楽寺
常楽寺(じょうらくじ)は神奈川県鎌倉市大船にある臨済宗建長寺派の寺院である。山号は粟船山(ぞくせんざん)。本尊は阿弥陀三尊。嘉禎3年(1237年)の創建で開基は北条泰時、開山は退耕行勇である。
常楽寺はもと「粟船御堂」(あわふねみどう)と呼ばれ、北条泰時夫人の母の追善供養のために建てたものであった。創建当時は密教系寺院だったが、次第に禅宗色が強まり、後に臨済宗の寺となった。
木曽義高の墓と伝えられる木曽塚がある。「知恵の仏様」と呼ばれ、勉学にご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市大船5丁目8-29
不動滝
不動滝は神奈川県足柄下郡湯河原町の滝。落差15m。
滝の左側には身代わり稲荷、右側には出世大黒尊が祀られている。
1931年桜井欽一博士によって、伊豆半島で最も古い新第三紀湯ヶ島層から湯河原沸石が発見された。湯河原沸石の産地は湯河原温泉の泉源とほぼ一致しており、沸石と温泉は密接な関係があると考えられている。厄除けなどにご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上750
白旗神社
白旗神社(しらはたじんじゃ)は神奈川県藤沢市にある神社である。白旗さまとも呼ばれる。
主祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)、源義経(みなもとのよしつね)、相殿に天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、国狭槌尊(くにさつちのみこと)を祀る。
創立年代は不詳。白王山般若院荘厳寺を別当とした神社で相模国一宮の寒川神社の祭神を祀り寒川神社と称していた。宝治3年(1249年)に源義経を合祀し、宝暦2年(1852年)に社殿の再建、白旗神社と称するようになった。
文治5年(1189年)6月13日腰越で義経の首実検が行われた後、この神社の付近に義経と弁慶の首級が葬られたという伝承がある。伝源義経首洗井戸や弁慶塚が残されている。
境内にある「弁慶の力石」は、かつては神社の西側・古美根茶屋前に置かれており、茶屋で一服する力自慢がこの石を持ち上げ、力比べをしたという。この石は「神石」「元(霊)玉」とも呼ばれ、この石に触れると健康になり、病気にならないという。「弁慶力石守」というお守りもある。武芸・芸能・学問のご利益があるとされています。
住所 神奈川県藤沢市藤沢2丁目4-7
宝戒寺
宝戒寺(ほうかいじ)は、神奈川県鎌倉市にある天台宗の寺院。山号は金龍山。詳名を金龍山釈満院円頓宝戒寺と称し、本尊は地蔵菩薩。萩(ハギ)の名所として知られ、「萩の寺」とも呼ばれる。
鎌倉江の島七福神の毘沙門天。病魔退散、財宝富貴だけでなく、良縁成就や安産のご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市小町3丁目5-22
光照寺
光照寺(こうしょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある時宗の寺院。清浄光寺(遊行寺)の末寺。山号を西台山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、一向俊聖。本堂周辺に多数のシャクナゲが植えられており、別名「しゃくなげ寺」とも呼ばれる。またシャクナゲのほかにもユキヤナギとレンギョウの名所として知られ、四季折々花の絶えない寺である。
時宗の開祖、一遍が鎌倉入りの際に巨福呂坂を守る武士に鎌倉入りを止められてやむを得ず行く先を江ノ島にする途中、野宿したところが現在の光照寺であると言い伝えられている。
近世には周辺の小袋谷村に隠れキリシタンの集落が存在し、光照寺が庇護していたという伝承が残る。
光照寺の山門脇に、咳の神様「おしゃぶき」と呼ばれる石の祠がある。「おしゃぶき」とは、「咳き込む」を意味する「しわぶく」に由来する語とされ、毎月お参りするとお年寄りや子供の咳が止まるといわれている。子育て、災難除けなどにご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内827
畠山重保
畠山重保(はたけやましげやす)は鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府創設に関わった畠山重忠の子。母は北条時政の娘。
元久2年(1205年)6月22日早朝、北条時政の後妻の娘婿である平賀朝雅との確執から、謀反を企てたという疑いをかけられ、由比ガ浜に呼び出された所を、時政の意を受けた三浦義村によって討たれた。
畠山重保の墓は神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮一の鳥居そばにある。高さ約3.5mの宝篋印塔が立っている。
畠山重保は喘息もちだったため、死後「咳の神」となり、願をかけると咳の病気が治してくれると伝えられる。咳封じのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市由比ガ浜2丁目
八雲神社
八雲神社(やぐもじんじゃ)は神奈川県鎌倉市山ノ内の神社。
鎌倉時代、疫病が流行した際に、村人が祇園八坂社の神霊を勧請したと伝えられる。また、一説には、室町時代に関東管領上杉憲房が武運長久を祈願し勧請したとも伝えられる。「午頭天王」と称された。
本殿横の岩山に、十王堂跡から移された「晴明石」がある。陰陽師・安倍晴明が祈りを込めたものといわれる。地中に埋もれた状態にある。この石を故意に踏めば足が悪くなり、知らずに踏めば丈夫になるともいわれている。
境内の「寛文5年銘」の庚申塔は、鎌倉最大にして最古のもの。なお、鎌倉市内には4社(大町、西御門、山ノ内、常盤)の八雲神社がある。 厄除け・厄払い・開運などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内585
長勝寺
長勝寺(ちょうしょうじ)は、神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院。山号は石井山。本尊は大曼荼羅。大本山本圀寺(六条門流)の旧末寺。小西法縁。
この寺は、1253年(建長5年)日蓮に帰依した石井長勝が自邸に法華堂を立て日蓮に寄進したのに始まると伝えられる。この堂は、現在京都市山科区にある本圀寺の前身とされ、1345年(貞和元年)洛中に移ってその後が荒廃していたのを、日際が再興し、石井山長勝寺と号したという。江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。厄除け開運にご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市材木座2丁目12-17
五所神社
五所神社は神奈川県鎌倉市の神社。
1908年、乱橋村と材木座村の合併にともない、もともとこの地にあった三島神社に、村内の八雲神社、諏訪神社、視女社、金毘羅宮を合祀し、五所神社と改称した。
境内には鎌倉市指定有形民俗資料となっている唐申塔や摩利支天像があるほか、国の重要美術品の不動明王種子(梵字)がある。
不動明王種子の裏には、「疱瘡老婆の石」が置かれている。丸みの帯びた自然石で、もともとは明治の末に合祀された見目社にあった。撫でると疱瘡が治るという霊石。健康・安全・勝利などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市材木座2-9-1
五所神社
五所神社は、神奈川県足柄下郡湯河原町の神社。
神奈川銘木百選のクスノキがある。健康・安全・勝利にご利益があるとされています。
住所 神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359-1
等覚院
等覚院は、神奈川県川崎市の天台宗寺院。春には数百株のツツジが咲き乱れることから、ツツジ寺とも呼ばれる。「ぜん息平癒」「癌・當病平癒」などの祈願寺院として親しまれ、「ぜんそく寺」と呼ばれることもある。「ぜん息平癒」「癌・當病平癒」などのご利益があるとされています。
住所 神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目8-1
横浜熊野神社
横浜熊野神社は、横浜市鶴見区の神社。安産・出世・仕事・商売繁盛 安全祈願・厄除け 除霊・お祓いにご利益があるとされています。
住所 神奈川県横浜市鶴見区市場東中町9-21
三之宮比々多神社
三之宮比々多神社は、神奈川県伊勢原市の神社。武勇、出世、
住所 神奈川県伊勢原市三ノ宮1472
本弘寺
本弘寺は、神奈川県相模原市の浄土真宗寺院。長寿、除霊などにご利益があるとされています。
住所 神奈川県相模原市並木1丁目3-2
青蓮寺
青蓮寺(しょうれんじ)は、神奈川県鎌倉市手広にある高野山真言宗の寺院。高野山宝寿院(無量寿院)末。詳しくは飯盛山仁王院青蓮寺(はんじょうざんにおういんしょうれんじ)と号する。
弘仁10年(819年)に空海(弘法大師)が開山し、長禄年中に善海が再興したと伝わる。
寺には、弘法大師が寺の裏手にある山(飯盛山)で修行をしている時に天女から仏舎利を託され、翌朝目を覚ますと青い蓮華(ハスの花)が一面に咲いていたという伝承が残っており、寺の名前もこれに由来している。
飯盛山は戦後急速に宅地化が進んだ周辺区域の中でも比較的豊かな自然が残存しているため、鎌倉市でその自然環境を保護しようとする動きがある。
かつて旧江ノ島道から青蓮寺へ抜ける洞門が存在したが、県道304号が開通した際に山ごと切りくずされ、以降この洞門は入り口で封鎖されている。開運のご利益があるとされています。
住所 神奈川県鎌倉市手広5丁目1-8
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